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キクユ族(アフリカ ケニヤ草原)の「心でセックス」

キクユ族は、原始的な氏族集団で生活を営んでいますが、そのままでは他の氏族との関係がなくなってしまうので、キクユ族全体の連結を緊密にするための年齢制度があります。少年少女がある年齢に達すると割礼を集団で行い、成人として同じ義務を果たさせ、彼らを団結させるのです。
以下は、集団割礼の儀式が終わり、一人前の成年として扱われるようになった男女が、結婚するまでの性関係の様子を、「未開人のエロス」から紹介します。


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彼ら若者たちの唯一の楽しみは、踊りである。日夜をとわずことあるごとに賑やかな踊りが展開されるが、これは同時に男女を結びつけるパーティーとなって、幾組かの相愛のカップルが誕生する。
しかし、みだりに屋外で交渉することは禁じられているから、そのために特別に建てられた小屋へ誘いあって消えていく。
ここでは集団恋愛となるが、お互いにわれ関せずで、他人のことには一切かまわない。それぞれが一組になって、小屋のアチラコチラで抱き合って横になる。が、ここでも制約が厳として実行されなければならない。
この場合、男は全裸となるが、女は上半身は裸になっても、スカートは着用していなければならない。しかも、股の間を通して前から後へたくしあげて、しっかりとめておかなけらばいけないことになっている。あたかも越中褌をキリリと締めたのと同じ格好になっているわけである。
こうして男女は枕を共にするが、ここにもタブーがあって二人は足を絡ませて体を密着させても、決して下半身に互いの手を触れることは許されない。といって、背を向けて寝ることも許されない。ただし、上半身は自由で、乳房を愛撫することは勝手である。
(中略)二人は若く、熱い血潮が煮えたぎっている。こんな状態のままで自制するとは、なみなみならぬ強い意志が要求される。
第一、男性たるものは、精神力だけでは随意にならないものを持っている。そこで、心やさしい女性は、その随意にならない男性を自分の両股で挟んでやる。が、それ以上は絶対にタブーで摩擦することは許されない。
われわれの社会で、もしこうした男女の交際法が存在するとすれば、果たして百組のうち何組が、このタブーを忠実に守れるだろうか。キクユ族にとって、もしこの禁を犯せば、厳しい制裁か、最悪の場合は、一命さえも落としかねない部族の掟が待っているのである。
こうして忍耐強い、自制の夜は明けるのだが、このタブーを無事にパスしなければ、将来部族の一員として、また種族の繁栄に寄与する資格はないものとして、爪はじきにされるのである。この異常な忍耐力を身につけて、やがて結婚へと入るのである。
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驚くことに、この男女交際法の意図するところは、最近はやりのポリネシアンセックスと全く同じです。性器への直接的刺激を避け、向かい合ったまま抱き合っていると、最初の「熱い血潮」から、だんだん抱き合った体の輪郭がぼやけてきて、やがて体のない意識がセックスをしているような感覚になります。
これは、人類しか味わえない「心のセックス」であり、性の充足を唯一の活力源としてきた極限時代に人類に与えられた宝物です。キクユ族は厳しい規範を作ることによって、何千年もの間、本物の充足を維持し得たのです。
性の衰弱が言われて久しいですが、キクユ族に学ぶところが大きいですね。

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