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一対婚と夜這いの併存形態(白川郷)

飛騨白川村の合掌造りは、40人程の大家族が住める住居ですが、寝室につながる夜這い用の出入り口が設けられていることでも有名です。家を継ぐのは長男だけで、それ以外は結婚せずに家に留まり血縁だけの大家族を形成します。
長男だけが家を継ぐ制度は、江戸時代の農民社会ではしばしば見られ、歴史の参考書では、「分地制限をはじめ、生活難からも分化不能の場合が多く、次・三男は独立の機会を失って長子に隷属する場合もしばしばみられたのである。」(山川出版社 詳説日本史)のように書かれています。私も、長男に生まれなかった人は悲惨だな、と思っていましたが、そんな杞憂は不要でした。


> 巨大な合掌造りの家に生まれた者は、男であれ女であれ終世その家に住み続け、その構成員に性生活上のパートナー(この地方ではナジミと呼んでいた)ができても、同棲することなく、男が女のもとに通い続けるという「婚姻」生活をしていた。ナジミの間に生まれた子どもは、母の家に属し、したがってそのメンバーたちに育てられた。唯一の例外は家の家長の妻で、彼女だけは他家から迎え入れた。つまり、家長や元家長、将来の家長(家長の長男)たちの妻以外はすべてメンバーは血縁者であった。(飛騨白川郷の大家族の起源を想像する [1] 坂東眞砂子『善魂宿』より)
家長とその妻は一対婚であるが、それ以外の男女が夜這い婚に参加することになります。家長とその妻は夜這いに参加できないので、結婚するということは私権を確保するのと引き替えに、夜這いという最大の解脱充足を失うことになります。
> そのとき、『今の若いもんにとっては、窮屈な世の中のなったなぁ』と実感のこもったひとこと!<http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=84746 [2]
村落共同体という共認充足の基盤を持ち得た日本人にとって、一対婚制度は受け入れがたいものでした。だからこそ戦後になって村落共同体が解体されるまで、夜這いが根強く継承されてきたのでしょう。

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