縄文時代の集団規模って一体何から決まったのでしょう?
土地の広さ?取れる食物の量?
色々考えられますが、そういった物的な要因もさることながら、集団維持の出来る、意思疎通可能な規模といった説を紹介します。(佐藤)
続きに行く前に、まずはポチット・・・
色んな遺跡から、縄文時代の集団は一つの家族だけのものから数家族分まで、規模には多少の範囲がありますが、大抵は20~30人規模だったようです。
鷲田豊明さん著作の「日本社会システムの起源 [1] 」によれば、以下のような説が述べられています。
>多くの論者によって議論されてきた単位集団はこの核家族と同じではない。核家族が数単位集まることによって単位集団が形成されていたのである。単位集団という概念には、この核家族まで分解されず、かといって「20~30人を大きく超える」ような大集団ともならない集団規模が、集団の構成単位として選好されたことを意味している。したがって問題は、原始社会の一般的状況のなかでこのような集団規模がなぜ選好され維持されたかである。
単位集団がブロックや竪穴住居の数棟をもって構成されていることから、単位集団が核家族をも無視して形成されたわけではない。この核家族が原始社会のなかでもっとも共同性の水準の高い集団である。共同性とは、構成員のあいだのの関係が物的なものによって媒介されているのではなく直接的である、すなわちそれぞれの個人が固有にもっている能力や属性そして意志などによって相互関係が構成されているような集団の特性をあらわす。この特性にあらわされた直接的な相互関係を人格的相互関係と言い表すようにしよう。そして、この共同性によって維持されている集団を共同体と呼ぶのである
(中略)
>そして、集団の規模が増大にするにしたがって、全体的な共同性を維持することの困難もまた増大する。そして、原始社会の状況のなかでは、共同性を持続できる規模の上限がちょうど単位集団の規模だったと考えられる。
この点については、西田正規氏が縄文時代の集落の規模の小ささについて展開している議論が興味深い。西田氏は、集団規模の小ささが「技術や環境とった側面より、むしろ高い知的能力を持ち個性的な個体が形成する社会の特性という側面にも大きくかかわる現象と思われる」とし、さらに次のように述べている(注47)。
「縄文時代の集落が小規模のままであり続けたという事実から読み取るべきことは、社会的な格差や個人の権威の突出を拒否し、平等性原理にもとづいた社会関係を維持しようとする確固たる姿勢である。彼らにとっての集落の理想像は、より大きな集落を作ることではなく、少人数でしか維持できない人間関係が維持されることにあったのだろう。」
西田氏は、ある程度高い水準の共同性が集団内の平等性を確保するための必要条件とみている。共同性失われるような集団規模の拡大は、不可避的に全体をまとめ、全体から自立しながら、構成員に対して支配者的にふるまう個人や組織がひつようになり、平等性の喪失につながると西田氏は見ているのである。平等性を求める人々の傾向が、共同性を維持できる範囲の集団規模に対する選好につながったというのである。この西田氏の主張は、人々が平等性原理を希求したという点など検証困難な仮説を含むものではあるが、説明原理としての合理性を持っていることは確かである。
単位集団は、一定の高さの共同性を確保できる集団規模の範囲内で形成されていた。縄文時代に、竪穴住居一単位による遺跡が少なからず存在することは、単位集団規模が核家族の規模に近づくこともあったことを示している。しかし、原始社会全体をとおしてみれば、数家族が単位集団を形成していた事実を読み取ることができるのであり、それは生活上の必要性、危険の回避、さらにはそれぞれの特殊要因としての生業維持のための共同労働の必要から集団規模は核家族以上に拡大する傾向が存在したことをあらわしている。それでも、共同性がある程度の高さをもった真の共同体の単位は単位集団規模に制限されていたと考えざるをえないのである。<
(引用終わり)
当時の人々が様々な生活の必要性の中から「共同」生活を選び、且つその共同性維持のために共同規範が行き届くことが可能な範囲を限定し、必要以上に規模を拡大しなかったという視点は注目されますね。 ![]()
しかしこの説の中では集団を構成するいくつかの「核家族」は、みな一夫一婦とのことのようなのですが、共同性維持と一夫一婦制との間に必然的な関係がもう少し見えてくるといいのですが、この辺ははっきりわかりませんでした。 
関連資料をもう少し調べてみたいと思います。 
~佐藤