2006年11月23日

ギリシアの私有婚

ギリシアは、クレタ文明→ミケーネ文明を経て、ポリス=都市国家の時代を迎える。

(1)クレタ文明 4600~3400年前
ギリシアに先行するクレタ島の先住民文明。強力な海軍を擁し島々を支配、最古の通商航海民といわれている。女性の地位が高く、女神の方が重要であったことから、父系制に転換していても直近まで母系集団だった可能性が高い。

(2)ミケーネ文明 3600~3200年前
4000年前頃インド・ヨーロッパ語族の一派ギリシア人が本土に侵入、先住民を支配したり混血する。非常に戦闘的で、3600年前頃堅固な城壁をめぐらした王宮が成立。この頃の戦闘は英雄伝説として後世に口伝される。

(3)ポリス=都市国家(共同体国家)時代 2800~2300年前
3200年前頃ギリシア西北部からギリシア人の一派ドーリア人(原始的で素朴)が南下。ミケーネの諸王宮は破壊され、諸部族が玉突き移動する暗黒時代(3200~2800年前)の後、ポリスと呼ばれるギリシア独特の国家が成立する。それぞれが独立国家で、大きいものはアテネの30万人、スパルタの40万人、小さなものは数千人程度。

ホメロスの詩によれば、ミケーネの英雄伝説時代、

ギリシアの族長たちがトロイに赴く途中、彼らによって船に拉致された女の捕虜のごときは、平気でしかも自由に彼らの欲情に供された。

アキレスの憤りを和らげるために、アガメムノンはギリシアの族長会議で、レスボス市の強奪品から彼自身のために留保しておいた容姿端麗な7人の女子をアキレスに与え、またトロイが占領されたならば、さらにアルキブ・ヘレンに次いで最も美しい20人のトロイの女子を選び出す権利を彼に与えることを提案した。

美女と強奪品」は公言された英雄時代の合言葉であった。

ポリス時代のギリシア人は一夫一婦制で、夫は妻に貞操を要求し、ある程度の隔離によって、それを強要しようとした。しかし夫のほうはその義務を負わなかった。
『カリクルス』(ベッカー著)は、ギリシア文化の最盛期における、特にアテネスパルタの女子の状態を次のように説明している。

・女子の唯一の美質は忠実な奴隷のそれとほとんど変わらなかった。
・彼女は全く独立心を有せず、全生涯にわたって未成年者と考えられた。少女に対しては、教育施設もなければ家庭教師もなく、彼女らの全教育は母親や乳母に委ねられ、紡績や織物やその他女子の副業に限られていた。

・女子の教養を促進する男性との交際を奪われ、他人はもちろん、親ともほとんど会わなかった。世帯内の女子たちは女部屋に閉じ込められ、結婚するまでは厳重に隔離された。

・若い妻が夫に知らせないで家を離れることは無作法とされ、実際離れることはほとんどなかった。彼女の交際は彼女の女奴隷とだけに制限された。夫は欲すれば彼女を監禁する権力を持った。
・男子が排除された祭典においてのみ、女子はお互いに会う機会を有し享有した。

子供を生むための結婚は、ギリシア人にとって、神、国家および祖先に対する義務と考えた。これ以上の高い動機が結婚に結びつくことはなく、強い愛情も生じることはなかった。たとえ愛情があったとしても、官能的な愛情以外は認められなかった。
・結婚は、事前の親密な交際によって行われることはほとんどなく、娘の個人的資質よりも彼女の家族の地位や嫁資(持参金)の額により多くの注意が払われた。そのため、冷淡、無関心および不満がしばしばみなぎっていた。

・夫と妻とは、他の男子がその家の主人と食事をともにしないときは一緒に食事をした。売笑婦と見なされたくない女子は、夫の友が同席した宴席には加わらなかった。
・妻の仕事は、家事全般と子女の養育――少年は教師につけられるまで、少女は結婚するまで――であった。

妻の不貞は厳格に裁かれた。女子は厳重に隔離されているにもかかわらず、しばしば夫を欺く方法を見出した。
・法はきわめて不平等に貞節の義務を課し、夫は売笑婦と関係しても非難されなかった。結婚上の権利の侵犯とも考えられなかった。

ギリシアの私有婚(一夫多妻→一夫一婦制)は、英雄伝説時代の略奪婚(女奴隷)を経ている点が注目されます。
また、新たな侵入者ドーリア人が再び掠奪闘争の嵐を巻き起こし(暗黒時代)、生き延びた氏族集団も破壊され、他集団から組み入れた人々を多く抱えていたと想像されます。
従って、ポリスもかつてのような氏族→胞族→部族といった連合体ではなく、人工的な寄せ集まり集団といった様相を呈していたと思われます。
このようにして氏族集団の婚姻制が維持できなくなり、私有婚(誰々のモノ)へ移行していったと考えられます。

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comments

女性の地位が高かったクレタ文明から、明らかに不当なミケーネ文明に転換したのは、やはり女の浮気が恐ろしかったからなのでしょうか?

>女子は厳重に隔離されているにもかかわらず、しばしば夫を欺く方法を見出した。

どんなに厳しく禁じても、やっぱり父系制においては女の浮気心は止められないものなんですかねー・・・(^^;

  • 春風
  • 2006年11月24日 20:14

春風さん、コメントありがとう。

クレタ文明からミケーネ文明に移行したのは、クレタ文明がミケーネ文明のアカイア人に滅ぼされたからです(天災説もあるようですが…)。
それぞれ出自を別にする集団なのです。
それに母系制では“浮気”ってなかったと思います。

私有婚では女の浮気って、なかなかなくならないようで、次のローマ時代はもっとすごいことになったみたいです。
平和と繁栄がよみがえるにつれ貞節道徳が崩れ、男女は奔放さを互いに競ったと報告されています。(以下『古代社会』より)

>女子の本来の控え目は漸次ますますなくなり、贅沢と浪費が極めて盛んになった。
そして多くの女子については、
「私の妻は生意気で、これ見よがしにしゃべりまわり、傲然(ごうぜん:偉そうに人を見下すさま)としており、ぜいたく屋で威張り散らす」
と言われたのであった。
多数のローマ貴婦人は、夫から無視されるのを埋合わせるために、貴婦人の護衛という口実で、始終、彼女に随行する彼女自身の愛人をもった。
この当然の結果として、独身生活がたえず男子の間に増加し、また離婚に関してはきわめて軽率な行為が存在した。

日本のバブル時代を見るような… ^_^;
『夫から無視されるのを埋合わせるために』がポイントかも。

  • 2006年11月25日 02:28
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