縄文時代の集団形態や婚姻制度を調べると,必ず和島家族論,水野家族論にヒットする。
①和島家族論では、集団婚 ⇒ 対偶婚 ⇒ 家父長制大家族 ⇒小家族 縄文時代における家族の発展の図式を提言しています。
②さらに有名な水野家族論。彼は、集落―大群―小群という重層的な群構成と部族―家族―小家族というレベルの異なる社会集団とを重ね合わせ、与助尾根における祭式を集落そのものに基盤を置く「広場祭式」、集落~大群間に基盤を置く「葬送祭式」、大群~小群間に基盤を置く「石柱・石棒・土偶祭式」の三類に分類し、集落構造と宗教構造とを一体的に説明し様とした。
しかし、読み物としては面白いが,事実から乖離した,観念論であるらしい。佐々木藤雄氏は,以下様に痛烈に批判をしている。
『水野の“二棟一家族論”、・・・・・中略・・・・・・“三家族(二棟一家族)三祭式(石柱・石棒・土偶)分掌論”の破産はあまりにも明白であり、・・・・・・・・与助尾根集落分析作業を聖域化しようとする研究者の“想念”の中でのみ・・・・・。様々な分析を加えてきた与助尾根集落は、人為的に改竄された畸形的な集落であり、・・・・・不完全な集落を対象とした、不完全なデータにもとづく、不完全な分析作業は、その根本から速やかに修正されるべきで・・・・・・・・それでもなお具体的な論拠を示さないまま、水野論を一方的に正当化する声が日本考古学の中にあるとすれば、それはもはや科学ではなく、宗教である。「水野集落論と弥生時代集落論(下) [1]」
つまり,縄文人の具体的な家族構成は、現状の遺跡や出土品からだけでは、推定不能であるのが実態であり、「良く分からない」といえる。
動物やサル,古代史などを考察し,限られた遺跡や出土品を元に、縄文人に同化してみる方が良いよう
である。
縄文人は、「私」という個人概念など無く、本源的に「みんな」(=集団)に同化していたのだから。