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イスラム教を信仰しながら母系性を保つミナンカバウ族とは

今日は世界最大の母系性部族のミナンカバウ族について少々別の視点からの紹介をしたいと思います。
ミナンカバウ族はインドネシアのスマトラ島のほぼ中央に位置するブキ・ティンギという、標高約900mの高原の町に住んでいます。
14世紀以降のイスラム勢力によるこの地への進出、19世紀にはオランダの統治下におかれるなど、ヨーロッパ諸国の侵略を次々と受けながら、現在多くはムスリムでありながら今も母系性を維持しているというところに驚きを感じますね。
そこで、「ミナンカバウ」という名前の由来について見て調べてみました。
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初めにミナンカバウの住む町、ブキ・ティンギを見てください。私たちは母系性部族、というと未開部族かと思いがちですが、なんのなんの、住んでいるところはなかなか素敵な”町”です。 😛
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こちらで有名な建築様式は、空港ビルでもおなじみの、屋根の両端が大きく空に向かって反り返っている「水牛」の角をイメージした建物ですね。
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ミナンカバウ族と水牛は切っても切れない縁があるようです。
調べてゆくと、ミナンカバウ族にまつわる民話で、以下のような話がありました。
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ミナンカバウ(Minangkabauまたは水牛の勝利)600 年くらい昔のことです。ジャワには強い王国があり、ジャワの王様は西スマトラを征服しようと考えていました。そこで、ジャワの王様は西スマトラの人々に使者を送り、「服従か?死か?」選択するように迫りました。 
 西スマトラの人々は、「征服されたくはないし、死ぬのも嫌だ」と悩みましたが、ついによい考えを思いつきました。彼らは、ジャワの王様の使者に次のように提案しました。
「戦えば、死者もでるし、町も破壊される。水牛の試合で決着をつけましょう。あなた方の水牛が勝てば、我々はすすんで服従します。しかし、我々の水牛が勝ったら、我々を征服しようという野心を捨て、我々をこれまで通り自由にさせて下さい。」
 ジャワの王様はこの提案を受け入れました。そして、強そうな水牛を国内から探し出し、代表として西スマトラへ送り込みました。 ジャワから来たとても強そうな水牛を見て、西スマトラの人々は、落胆してしまいました。「これでは、我々の国の水牛では勝てない」と。 しかし彼らのうちの一人が名案を思い付きました。 まだ生まれて間もない子供の水牛を親から引き離し、その子供の水牛の角に鋭い鉄製の角をかぶせて3日間乳を与えずにおいたのです。 そして、「我々の水牛も準備が出来た」と、試合に臨みました。
 さて、試合が始まると、お腹を空かした子供の水牛は一目散にジャワの水牛へ突進し、お腹の下に頭を突っ込んで乳を探しました。すると、かぶせてあった鉄製の角がジャワの水牛のお腹を突き上げ、ジャワの水牛はあえなく鳴声を上げて逃げてしまったのです。
 意外な結果に終わりましたが、約束は約束です。 ジャワの王様は、征服の野望を諦めました。
 これが、彼の地を”Minangkabau”(The Buffalo’s Victory)と呼ぶようになった理由とのことです。

http://forum.nifty.com/fworld/indonesia/folktales/minang.htm [2]
そして、

ミナンカバウとは、勝つという意味の「ミナン」という言葉と水牛という意味の「カバウ」を組み合わせてついたと言われています。名前の由来でもある「牛」は、彼らにとってとても貴重で働き手として食用として生活に密着していました。伝統家屋の屋根(ミナンカバウルーフ)には牛の角の形が模られ、闘牛などの伝統行事や民族衣装にも反映されています。

東南アジア~スマトラ島 [3]
ミナンカバウ族は、その名の由来の通り、多くの支配者達にも屈服しないで自分達の文化を守り通したのでしょうか。それが出来たのは母系性であったことと関係があるのかは分かりませんが、もしかしたらやっぱり「女は強し」だったのかもしれません。
最後に建築様式にもなった水牛の角を見てお終いにしたいと思います。
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