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縄文と弥生~その影響について~

Posted By hayabusa On 2007年1月9日 @ 9:10 PM In 未分類 | 4 Comments

1万年以上にわたって続いてきた縄文文化は、紀元前1000年ごろから数百年間にわたって訪れた渡来人の影響によって徐々に変化していくことになります。
全く争いごとのあとが見られなかった縄文歴史に対して、弥生時代は戦闘の痕跡がみられることから日本にも戦争がもたらされた歴史と理解されていたりします。そのため、縄文人は弥生人によって蹂躙され滅ぼされた、なんて説もあったほど。
しかし、渡来人(弥生人)と先住の縄文人はおおらかに融合していったという説が現在は有力です。
確かに、縄文気質と呼ばれるものは私たちに深く根付いているわけですから、渡来人によって縄文人が根絶やしにされたなんてことはありえませんよね。
そのあたり、どんなふうに融合していったのかを、中村忠之氏のサイト「森と人の地球史」 第9章「弥生人の渡来 ・・・ ハイブリッド文化の誕生 [1]」を参考に、母系・父系の婚姻制度とからめて考えてみたいと思います。
じゃ、本題の前にクリッククリック


■弥生人はなんで渡来したのか?
弥生人は、戦乱に追われた人たちであったといわれています。
歴史的に紀元前1000年~300年ごろの中国は春秋・戦国時代。秦の始皇帝につながる戦乱の時代ですからそれも頷けますね。
じゃぁ、戦乱に追われ一家総出でたくさんの人が海を渡ったのか?おそらくそれは違います。
このころの中国は主として、父系の婚姻様式をとっていたでしょうから、戦いに敗れれば男は敵に殺されるか集団を追い出されます。女・子どもは敵に収奪され生き延びたでしょう。
つまり、危険な海に乗り出して生き延びるしかなかったのは「男」だと考えるのが自然と思います。
■縄文人と弥生人はどのように融合したのか?
縄文時代の日本の婚姻様式は母系制。他集団から「男」が入ってくる婚姻様式です。そして、そんななかに見たこともない渡来人の「男」が訪れた、というわけ。
仮に、縄文時代の日本が中国と同じ父系制だったら、ケンカになっていたでしょう。少なくとも、そう簡単に集団の仲間にはなれそうもありません。
しかし、弥生人が流れ着いた島は、非常に幸運なことに母系制でした。男系男子が家督を継ぐなどという規範はない、おおらかな仲間社会だったわけです。当然、女もおおらか。
弥生の男たちは縄文の女と交わり、ゆるやかに集団に溶け込んでいったと考えられます。
■弥生人の気質
弥生人渡来、と一言で言っても、その期間は500年以上。長くて1000年間。様々な人が長い時間をかけて渡来してきたといえます。
そのなかで、後半に渡来した弥生人は、黄河文明社会の国家管理ノウハウを身につけた人たち(彼らのノウハウを受け継ぐ人たちが後の豪族となっていったと考えらます)。
この当時の中国には、既に儒教の「孔子(BC551~BC479)」がいましたから、彼らの気質は、少なからず、儒教的な影響を受けた規則人だったといえるでしょう。
■弥生人のもたらしたもの
弥生人がもたらしたもので、もっとも有名なのは「水田稲作」ですね。弥生末期には青森の辺りまで普及しているといいますから、驚きです。
しかし、考えてみれば、稲作には多くの人手が必要。弥生人だけががんばって稲作したのではここまで普及するとは考えられません。先住の縄文人の援助が不可欠といえます。
ここにも、母系制社会にゆるやかに溶け込んで集団の一員となった弥生人と縄文人の関係性が垣間見れます。
しかし、面白いのは、前述の儒教の影響がまったく根付かなかったことです。
儒教由来の、「家制度」などの父系社会をベースとしていた弥生人たちは、当然、それも伝えようとしたでしょうが、後の天皇家など身分上位の一部以外には、ほとんど根付いていません。農民など一般大衆に父系制と儒教が受け継がれるのはずーっと後。
このことから考えて、日本人に父系制は答えじゃなかったのか?と思ってしまいますね。
(隼)


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[1] 弥生人の渡来 ・・・ ハイブリッド文化の誕生: http://joumontn.com/mori&hito/093.html

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