西アジアでは、1万年前には栽培が行われていた。人口増に対応して、採取だけでは食料が賄えなくなったのだろう。
コムギなどの穀物やマメ類の栽培(農業)は、限定された植物の収穫量を増やす一方で、食べる植物の種類を減らしてきたようにも思える。
採取される多種多様な小粒マメ類を採取していた時代から、栽培に適したソラマメ、エンドウマメ、レンズマメ、ヒヨコマメなどに集中するからだ。
(by石野)
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西アジアで作りだされた作物には、コムギ、オオムギ、ソラマメ、エンドウマメ、レンズマメ、ヒヨコマメなどがある。これらは今から約1万年前に、野生の状態から人間が管理する栽培の状態にうつされたと考えられている(ただし決定的な証拠は出されておらず、今後の研究が必要である)。それ以前にはピスタチオやアーモンド、やや少なくエノキ、シソ科Ziziphora属、イネ科植物、それから多種多様の同定不能な小粒マメ類がよく利用されていた。もちろん暖をとるためになどに、木材もたくさん使われた。これらがよく出土することは、長年行われてきた植物研究の結果として、やっとわかってきた。しかしこれらの植物がどのように利用されていたのか、とくに調理はどのようにされていたのか、不明な点は多い。彼らの生活の実像をイメージさせる発掘例は、とても少ないのが現状だ。(セム系部族社会の形成 [1])
これが、香辛料を使いはじめる一つの動機になっている。同じ物を食べるならその味付けを変えよというわけだ。
そのなかで、ジェルフェルアハマル遺跡(シリア)の台所(キッチン)は、たいへん貴重な発見例であろう。そこでは紀元前9000年頃に火事が発生し、そのときの状態がそのまま焼け跡となって見つかった。出火時は料理の最中で、シロガラシ類の種子がすりつぶされて団子になった状態で、サドルカーンの上に発見された。シロガラシ類は今日でもおなじみの香辛料マスタードそのものか、その近縁の植物である。紀元前9000年頃に、現在のマスタードづくりとほぼ同じような加工工程が行われていたことは、驚きである。また甘くもなく、栄養が格段に良いわけでもないカラシを嗜好していたという味覚に、親近感がわく。発掘隊長のダニエル・ストゥルーダーは「あのキッチンにはなんでもあった、ただひとつだけないものといったら、料理をしていた女性だけだった」と言っている。作りかけのカラシの団子がサドルカーン上にあったことで、料理という行為が具体的に動いて見えてくるような、興味深い発見だ。(セム系部族社会の形成 [1])
しかし、遊牧民がソーセージ(それを乾燥させたサラミ)を保存食としたように、一時期に収穫した農作物の保存もまた、必要不可欠な技術である。
乾燥や塩漬けに並んで、抗菌や酸化防止の効果のある香辛料も使われたであろうことは、想像に難くない。
いずれにしろ、栽培の本格化(農耕の開始)と時を同じくして、紀元前9000年頃には香辛料が使われ始めている。