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双系社会って何?(苗字のない社会)

 母系社会についてネットで探索していると、「双系(そうけい)社会」という社会形態があることが分かりました。
 母系制でも父系制でもない「双系制」とは一体どの様な婚姻形態(社会形態)なのか?とても気になるところです。
 「双系制」について詳しく書かれたサイトがありますので一部を紹介します。とても驚きです。

ジャワ人をはじめインドネシアの多くの民族は父系・母系のどちらでもない〈双系社会〉である。双系社会では結婚すればその夫婦は夫方、妻方の何れにも属しない。仮にどちらかの親の家に同居または隣に住むことがあってもケースバイケースで社会一般のルールがあるわけではない。
 家系というコンセプトがないからインドネシア人には苗字、即ち家族名がない(→570 [1])。世代間の連続観念が希薄である。直系、傍系という考え方もない。
しかしワヤン(→904 [2])の登場人物を見ると人物の血族の説明がうるさいくらいである。家系はなくても血統は重んじられる。血統には母方の方も並列的であり、対等である。日本の系図を見ていると家系があって男の名前だけが連ねてある。しかし日本の父系社会は儒教によって確立された後天的なものであり、実態はかなりの母系的要素が潜在(注)している。
((注)日本では明治民法を策定の際に武家社会の父系原理を持ち込んだものである。江戸時代の民衆は双系社会要素が強かった。)
 子供の割礼、結婚式、葬儀、その後の儀式に一族が集まることがあるが、そのリーダーとなるのは知識が豊富とか社交的などの個人の素質であり、系譜や出自ではない。
インドネシア語の家族「クルアルガ」(→573 [3])は狭い意味の家族だけでなく親族をも含む。双系社会では親類といっても父方、母方の両方に対して等距離である。
 インドネシア人には親類が多い。親類とは何らかの血縁関係の知り合いは全部親類である。ソウダラ(saudara)は狭義には兄弟姉妹という意味であるが、広義には親類全般を指す。スカルノ大統領が演説(→974 [4])の冒頭で『ソウダラ・ソウダラ』と呼びかけた。「同士諸君」という意味にもなる。
 (インドネシア専科「568.双系社会」 [5]より)
 ジャワ人に限らず双系社会(→568 [5])では家という概念がないので、家名である“姓”はなく名前だけである。ジャワ人の男性の名前にはSで始まりOで終わるものが多い。二人の大統領のスカルノ(Sukarno)、スハルト(Suharto)ともジャワ人である。
 スカルノもスハルトもこれで名前の全てである。
 (インドネシア専科「639.ジャワ人の名前」 [6]より)

 家系というコンセプトがない、苗字がない社会。しかも、一方で血統は重んじられている。私たち日本人からするととても不思議で驚きの社会です。それでも、日本では「江戸時代の民衆は双系社会要素が強かった」ようですし、母系でも父系でもない社会=双系社会には、何か“個人(出自)よりもみんな”という本源的な感じも受けます。
 狩猟・牧畜系民族は、牧畜から遊牧への転換に伴い、闘争圧力増大→息子残留→父系制へと、母系制から父系制へ転換していきました。
 では、この様な双系制社会とは、一体どの様にして形成されたのでしょうか?
 追求していきたいテーマです。 😮

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