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アボリジニーの交換取引(その2) アボリジニーの「気前のよさ」って何?

アボリジニの集団間交流(種族間取引) [1]に引き続き、今回は、彼らの種族内取引について、
「経 済 生 活 の 原 初 形 態-原始社会の財貨取引」 [2]
(第二章 オーストラリアの諸種族、b 種族内流通のさまざまな形態)より、紹介します。
いつもの、ヨロシクお願いします。
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スペンサーとギレンから伝え聞くところによれば、気前のよさは中央オーストラリア・アボリジニの最も顕著な特質の一つであるという。
アボリジニはつねに、食料あるいはその他の何かある所有物の一部を仲間に譲り渡すことに慣れている。このとき彼は古来からある慣行の一つに従っているのであり、これを破りでもすれば、全員から有罪判決を下されることになる。
それはともかく、彼にとって問題となるのは何を何と引き換えに quid pro quo贈るのかということである。話題となっている諸々の種族は贈与を受けたことに対して、感謝の意を示さずに返礼を贈ることがしばしば認められている。
このことについてスペンサーとギレンが言及するところでは、アボリジニたちは互いの取引においても謝意を示さないのがふつうであるとされる。それというのも贈与と受容は彼らの生活における最もありふれた日常の出来事であるからという。そのかわりに彼らはいとも簡単に、われわればかりでなく彼ら自身もつまらないものとみなしているようなものと引き換えに、多くの労力を費やして制作したものを与えるという(2)。
(中略)
エアーが見た若者たちの中に貧しい飢えた者がいた。その若者は自分の技倆あるいは辛抱強さにより何らかのささやかな食料を調達したが、礼儀作法に従って、回りに群がる寄食者たちにそのささやかな獲物を分配することを余儀なくされた。だが、その若者はそれを敢えてほとんど味わうこともなく、泰然として最も小さな分け前に甘んじていることができたという(3)。
(以上、「経 済 生 活 の 原 初 形 態-原始社会の財貨取引」 [2]より)

アボリジニは種族内において、古来からの慣行によりつねに食料・所有物を仲間に分け与えていたいたことが伺われます。また、その分配の仕方も「礼儀作法」により厳密に決められているようです。
ここで注目したいのが、彼らの「気前のよさ」と、「互いの取引においても謝意を示さない」という慣わしです。(なんでそんなに気前がいいの?感謝の気持ちは生じないの?! 🙄 )
そこで、調べてみると、こんな関連記事がありました。

もともとアボリジニの人々の生活に相手に感謝の意を伝える習慣は無く、彼らの言語に『ありがとう』、『Thank you』に相当するものは存在しない。勿論全てのものを平等に分かち合ってきた彼らの文化には人に何かをあげる、何かを貰って嬉しい、という考え方が無い。それは「当然」で相手に感謝すべきことではないのだ。(「REPORT FROM THE DESERT~アボリジニ居住区での日々~」 [3]より)

確かに、「相手に謝意を示さない(ありがとうを言わない)」ことは、我々現代人からすると何かネガイティブなことと捉えてしまいそうですが、「相手(みんな)に与えること(相互に与え合うこと)」を当然のこととして日常生活を送っている彼らにしてみれば、殊更相手に対する謝意などは必要ないものなのかもしれません。
彼らアボリジニは古来から互いに与え合うことを規範として生きてきた。そして、互いに与え合うことこそ彼らの適応様式だったのではないかと考えられます。
このように考えると、彼らの「気前のよさ」とは、所有意識を持つ現代人から見た捉え方に過ぎないのではないか?という気もしてきます。つまり、彼らは(現代人から見て)「気前がいい」と見えるほど互いに与え合うことで、適応(充足)しているのではないでしょうか? 😮

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