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マーガレット・ミードの研究の中身は??

アメリカの文化人類学者マーガレット・ミードについて調べてみました。
文化人類学者として有名な学者さんですが、いろいろ疑問もあるようです。。。
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彼女については、
>文化人類学の発展期にあって数多くのフィールドワークをこなし、精力的に研究を行った。また文化人類学を利用した社会評論や一般向け著作にも熱心に取組み、文化人類学の普及には多大な貢献があった<
 ウィキペディア  [2]より抜粋
と、学者としてのその足跡には一定の評価がある一方、その研究や論文の内容については、批判、疑問も数多くあるようです
以下、 『ミードの幻想』  [3]より抜粋 :
ミードが『サモアの思春期』で描いたサモアの社会や文化は、そのほとんどが誤りである。既に述べたように、この原因として、ミード自身に研究者としての知識や技量が決定的に不足していたことは疑いようもない。
 彼女はサモアを「非常に単純」で「複雑ではない」未開社会だと考えていた。サモアについて事前に調べることもなく、その先入観を持ったまま現地に赴き、それからドロナワ式にサモア語を身につけ、しかもサモア人の生活に入り込んで行くことをせず、十代後半~二十代前半の年齢の女性を招いて話を聞く方が多かった。これでは「フィールドワーク」と呼ぶに値しないといわれても仕方がないだろう。しかし彼女の誤りについて、その原因を彼女一人に負わせることは必ずしも正当とはいえない。
(中略)
このような「ミード神話」は、現在の日本でも、文化人類学やフェミニズムに関する本で、再三に渡って取り上げられている。手っ取り早いところでは、『文化人類学辞典』や『女性学辞典』といった類いの本を探せば必ず書いてあるだろう。彼らはミード描くところのサモア像を疑いもしない。ミード批判に対して反論するわけでもなく、そのような批判は存在しないかのように、ただひたすらミードの報告だけを盲信する。これは1920年代のボアズ(や他の文化人類学者)と同様、自分が信じる説に都合のよい事実だけを受け入れるという、学者にあるまじき態度である。
 (以上、引用終わり)
どうも、色々な疑問や批判があるようで・・・
これらの原因としてミード自身の研究、追求の甘さがあることは、確かに否めません。
しかし、こうした研究内容が大々的に取り上げられて、現代もなお信じられている背景には、文化人類学を巡るもっと大きな問題があったようです。
当時の「優生学」や「文化決定論」を巡る学会の論争、未開社会は単純で複雑ではないという先入観、そしてフェミニストやジェンダーを標榜する人達によって、都合の良い部分や解釈だけが取り上げられ広められて行った事等々・・・
「事実の追求」というスタンスを逸脱した、「しがらみ」「先入観」「自都合の良い解釈や捏造」という姿勢がこの問題の背後に大きく横たわっています。そしてこの状況は、現代もあまり変わりません・・・
答えを導き出すためにも、このブログ上でもまた「事実の追求」という姿勢がいかに大切かを思い知ったのでした。

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