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マーガレット・ミードは、観念論者(嘘つき)で論文は使えない。

このブログ5月15日の『無文字社会の思春期(3) 「性は、悪いこと、恥ずべきこと」と考える社会』
にて資料論文として使われているマーガレット・ミードの論文は、このブログが行っているような事実追及の議論の材料には使えないと私も思います。 🙁
彼女は空想的社会観念学者です。 😡  彼女の論文の内容が誤りであることは、既に明確と成っています。しかし、マーガレット・ミードは非常に有名な人類学者で、1930年代に『3つの未開社会における性と気質』の中で紹介した、「男女役割が逆転している社会」、パプア・ニューギニアのチャンブリ族の例は、今でも、ジェンダーフリー論者が「男らしさ」「女らしさ」を否定するときに、必ずといっていいほど紹介されるものです。 👿
 るいネット中の阪本剛さんの投稿「「男女役割が逆転している社会」は実在したのか?」  [1]参照
しかし、彼女は何故こんなに間違ってしまったのでしょうか。そこには彼女の生きていた時代背景があるようです。
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その理由は、
ミード自身に研究者としての知識や技量が決定的に不足していた。
しかしそれ以上に、当時の研究者間で激論が交わされていたと言う、時代状況があります。
1930年頃は、人間の様々な性質や性格が、生物学的(遺伝的)に決定されるのか、それとも文化的(外遺伝的)に決定されるのかということが論争されていた。
⇒M・ミードは、文化的に決まる立場で人間は生得的には何の観念も持たない「白紙(タブラ・ラサ)」として生まれ、様々な経験を経て諸観念を(したがって世界観を)構成してゆくという考え方である。
さらに欧米では1930年代は、母親が「どれが自分の子供か」を知らないようなシステムを理想とする思想が一部に流行(空想的社会主義の『幼児と児童の心理学的保護』)
⇒親子の絆から解放されて育つと、自由でよい子が育つと言う間違った幻想観念に彼女は染まっていた。
ミードは「ボアズ」先生の文化決定論者の派に属していた。彼女がサモアを訪れたのは「思春期の行動が、どの程度生理学的に、また文化的に決定されるのかを解明するための研究」がテーマです。しかし、その精神欲求は ⇒社会抑圧が無く育てば、悩み無き幸福な社会と成ると言う、空想的社会主義を証明したいという事で、その事を「ボアズ」先生など文化決定論者の人々は求めていた。
だから、「サモア像」は、当時の「文化決定論者」が求めている方向に、無意識(?)脚色された内容となっている。まるで、現在のマスコミのように思い込みのシナリオを持って、稚拙で表層的なヒアリングを現地で短期間おこなって、色眼鏡で見た報告書をまとめてしまったのである。
<『サモアの思春期』での、マーガレット・ミードの報告>
①母親との絆も薄く、家族のつながりも少ない(≒社会の抑圧の解放されて育てられる)
②思春期もストレスが少ない
③青少年は自由な性交を娯楽として、個人的関係には執着しない(≒フリーセックス)。
<その後の実態報告>
①家族制は存在しており、夫婦、その子供の関係は大家族の中でも明確。
②階級社会で、上位の人には逆らえない。争いも多く名誉をかけて戦う事も。
④処女性が非常に重視されており、性交を娯楽とみなすことはありえない。嫉妬心を持ち特定の人物に愛着を示す。
ミードへの間違い指摘は、次のサイトに詳しい。
 ウキペディアの「マーガレット・ミード」の中の、ミードの幻想(サモア編)  [3]
文化決定論者の「ボアズ」先生は、余りの理想的な「民族研究の事実」の論文『サモアの思春期』に最大の評価 を行い、マーガレット・ミードは、文化人類学の大先生となり、今でもその名前と論文は「ジェンダーフリー」方々の「葵の御門 」と成っている。
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