現代日本の「恋愛至上主義」は、ほんの50年前では珍しい考えでした。
私の両親が結婚した時代(戦後の1950年ごろ)は、結婚と言えば親が決めた相手か、見合い結婚。私の両親は、一目見てその後は結婚式だったそうです。
それがあっという間(50年間)に、男女関係はいわゆる昔の少女漫画のような、胸が時めく夢のような恋愛 をして、恋焦がれた相手と恋愛時代
を経た上で結婚に至るという夢を抱くようになりました。そして結婚式は人生最大のイベントで、その後の結婚旅行は海外へと、お金の掛かる恋愛が市場社会によってさらに加速されてしまったようです。そして、日本では、恋愛という過程を経てから結婚すると言う婚姻制度(≒「恋愛至上主義」)に変わってしまいました。
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明治以前は「夜這い文化」と言われるように、性におおらかな日本文化でした。何故急変したのでしょうか。
明治維新以降の日本は、西洋近代思想が輸入されたことによって、これまでの性風俗を「野蛮なもの」として排除する動きが当時の統合階級にあった。そして、土着の性風俗は古くて遅れたものとして規制された潰されてしまったようです。
その役割を果たして一人が福沢諭吉です。
引用:男女交際進化論「情交」か「肉交」か 中村隆文著
『明治のはじめ頃、男子学生の恋の相手はふたつあった。ひとつは遊郭や盛り場で働く女性で、もうひとつは同じ男子学生。前者を相手にすると「軟派」、後者なら「硬派」と呼ばれた。意外にも「硬派」は本来は同性愛を志向する男性を指すことばだったのである。
女子学生というものが少なかったこともあるが、成人してお見合い結婚することが当然の時代では、今でいう男女交際という概念自体が存在していなかったのだ。
「男女交際」という言葉は福沢諭吉らによってつくられた。福沢は英語の”Society”を「交際」と訳して日本に紹介した人物でもある。男尊女卑の当時の環境を欧米に対して遅れたものと考え、日本を男女同権につくりかえる上で、必要な制度として男女交際は生まれた。』
それ以降の文学者の多くが「恋愛」「自由」をテーマに、欧米文化を目標とする輝く文化として紹介して大衆に支持されていきます。そして「豊かさ」獲得を目標とする事で活力的なエネルギーを出してきたのが昭和の時代です。たった50~60年前です。
50~60年前に、日本の「おおらかな性文化」を捨てて、この「恋愛文化」に移行したことが、本当に正しかったのかは、現代の男女関係を見ると大いに疑問です。