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何で「夜這い婚」は衰退したの?①

Posted By mori-ma On 2007年7月5日 @ 11:21 PM In E 8 日本 | 10 Comments

このブログでもよくとりあげられている「夜這い婚」。共同体みんなが充足するための優れた婚姻システム であり、つい最近(昭和30年代頃)まで、残っていた村もあったほど それなのに、なぜ衰退してしまったのでしょう
すご~く疑問だったのですが、るいネット [1]から、夜這いとその衰退について詳しい投稿を見つけました :D それを3回に分けてご紹介したいと思います
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それではさっそくご紹介します
短くまとめようかとも思ったのですが、もともとが赤松啓介の書籍からの引用でもあり、まとめることで本当に伝えたいことが伝わらないかも知れないなぁ と思ったので、元の投稿を、そのまま引用させていただきますね。
まずは、改めて「夜這い」とはどういうものだったかについての投稿です。

夜這いの解体と一夫一婦制の確立1

現代の結婚制度を客観視するために、現代の結婚制度の確立前の男女関係の様式である夜這い解体と一夫一婦制の確立について、触れておきます。
夜這いの解体と一夫一婦制の確立1~4は、「村落共同体と性的規範」赤松啓介 からの引用です(省略部分あり)。
明治政府などに対しては、厳しく書いてありました。
<江戸時代 性民俗は多重的>
夜這いというのは、ムラで一人前に育った男と女との性生活を、どうして維持したら最も矛盾が少なくできるだろうかという実践的方法論である。したがって、そのムラの創成の歴史、社会構造の基盤、住民の意識構造の違いによって、いろいろ変化するのが当然であった。厳密にいえば、一つとして同じものはないことになる。
すくなくとも、徳川後半の日本の全国のムラでは、夜這いは、ありきたりの、どこでもやっていた性民俗なのである。
だいたい夜這いは自村、ムラウチ限りが主体で、他のムラへ遠征するのは法度である。村内婚を主とした段階では、夜這いも一つの結婚形式というべきもので、排除されるような民俗ではない。私は夜這いが次第に固定されるようになったり、妊娠などの機会に同棲生活になったと思う。つまり結婚などという儀礼に固まったのは極めて新しい大正以後の習俗で、古くは夜這いの積み重ねによって自律的に夫婦と同棲関係に移ったのである。したがって徳川時代には三婚、五婚などという重婚も珍しくない。もとより三婚、五婚などというのは幕府の法意識による査定で、農民たちには無関係であった。要するに農民の男女の共同、共棲意識は極めて流動的なものであって、儒教的夫婦意識ではとても理解できなかったのである。彼、彼女たちの共同、共棲関係は、常に流動的、相互的であって、子供は母が養育したので、不特定多数の男たちの責任を追求する意識はなかった。そうした現実を直視しない限り、夜這いの実在を認識する方法も、手段もない。

もとの投稿はこちら リンク [2]

「結婚(一対婚)」という観念が、後から押し付けられたものであることがよく分かります。夜這いといっても、好き勝手に交わるのではなく、ムラの状況に合わせた規範があり、夜這いは共同体を維持していくための、まさに「実践的方法論」だったんですね
ムラの実状に合わない制度を押し付けられただけなら、みんなが無視すれば関係ないじゃん とも思いますが、明治という時代に入ると、そうはいかなかったようです :cry:
(つづきます


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