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ニューギニアの3種類の塩

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1.トロブリアンド島やニューギニア島の海辺の人は直接海水を使う
パプアニューギニアの北東海岸にあるトロブリアンド島。ここでは主食のヤムイモを土器に入れて煮る時に、真水と海から汲んできた塩水を半々に割って、それで塩味をつけて煮ます。だからわざわざ塩を買ってくるとことはしない。
ニューギニ ア島の西半分、イリヤンジャヤの海辺の人も同様に海水を使います。


2.ニューギニ ア島の西半分の中央高地では塩泉から塩を作る
(『ニューギニア高地人』の記述と合わせて)探検地ウギンバ村から5日行程ほど西に、ホメヨという部落があり、この部落の下、ケマブー川沿いの崖から、塩分を含んだ水が湧き出てくる。クムパ(塩の出る場所)とよばれる浅い池のような塩の泉である。容器を持たない彼らの塩をとる方法は?――
塩の湧き出るところを丸く土手で囲み、直径10メートルほどの池を作る。つる草のようなものを集めて、それを一昼夜、泉の水に浸けておきます。あくる日それを取り出して乾かして、薪と一緒に池のそばで燃やす。そうすると塩水を含んだ植物が燃えた灰の中に、小さな塩の結晶が残ります。
近くに直径10センチほどの穴をいくつも掘り、比較的幅の広い木の葉を穴に敷き詰め、その上に灰を入れて水を少しずつ垂らして湿らしながら石で叩く。こうして固められた“塩灰(灰混じりの黒い塩)”を木の葉ごと取り出して、袋状に包んで作業終わり。
“塩灰”はニューギニアの高地で大変な貴重品で、1.5キロくらいの塊でブタ一頭と交換できます(筆者注:『ニューギニア高地人』では5キロで体長1メートル以上のブタ一匹と書かれている)。ブタはニューギニア高地で一番の貴重品で、ブタが数頭あったらお嫁さんが買えます(筆者注:この頃はすでに一夫多妻の私有婚といってよい)。それほど塩は値打ちのあるもので、塩を生産しない地域に、部族から部族へと物々交換で伝わっていきます。
ただし34日間の滞在で、ウギンバ村の人々とほとんど同じ食事をしたが、その間に灰混じりの塩を使ったのはわずか2回だけ。だからほとんどの食事は塩味なし。勿論、他の調味料もなし。主食はサツマイモで、サツマイモの葉っぱがおかずで、カリウムが大変多い。しかも動物があまりいないので動物性の食料はほとんど獲れない。
大阪市大の調査でも、動物性の食べ物はわずかで、1.5キロの灰混じりの塩の塊を一家族で大体1年以上持たせていたようだ。カリウムをたくさん食べているのに、塩の摂取量が実に少ないということになります。
(注)西イリアン高地ではホメヨのほかに塩分の鉱泉が2、3あり、バリエム渓谷 [3]もその一つだろう。ここではバナナの茎を使うようで、ところ変われば塩のつくり方も違うようです。
3.ニューギニアの内陸部、塩の泉のないところでは植物を焼いて塩味に使う
%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%A6.jpgニューギニアの内陸部、塩の泉のない場所では、植物性の塩をつくります。ツリフネソウ(右の写真)の一種を薪と一緒に燃やして、その残った灰を集めて瓢箪の中に入れます。瓢箪の底に小さな穴があけてあり、上から水をポタポタ垂らすと、それが塩分を溶かして瓢箪の底からポタポタ落ちます。そのしょっぱい液を、土器のないところなので竹の樋の中に入れて、熾火の上に置いて水を蒸発させる。残った結晶はしょっぱい味がする。
ところが分析結果のデータを見ると、これは塩素が42.7%ありますが、カリウムが50.1%、ナトリウムが0.5%以下であるという。ナトリウムを摂る機会が大変少なく、カリウム過剰になっているはずなのに、カリウム塩を食べる。これは火事を消すのにガソリンをかけているみたいな話です。しかしながら、それでも人々はちゃんと生きています。台湾のタイヤル族という部族でも、植物性のカリウム塩を摂っているという報告があります。
こうしてみると人間には本当に塩が必要なんだろうかと言いたくなってきます。つまり食塩という形で外部から補給しなくても、乳や肉からいろいろ人間は塩分を摂る手段を持っていた。さらには人間の体というのはその環境によって適応するもので、本当に塩欠乏でも結構生きている人々がいるんだということになります。
*************以上、要約でした*************
ということで、食塩という形で外部から補給するようになったのは、農業という重労働が始まってからでは?という、先の投稿 [1]につながります。
それにしても、ほんのわずかしか塩分を摂らないでも生きていける人たちがいるとは! 驚きです。
 読んでもらってありがとう(^_^)。応援よろしく by岡
  

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