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江戸時代の下り酒

江戸時代のもう一方の中心地、上方。今日はこの上方に目を向けてみました。 🙄
この時代、文化は総じてまず上方で栄え、やがて江戸に流れてきたといわれています。そんな上方の暮らしを色々見てみたいのですが、そこでまず、食生活にまつわる話からいってみたいと思います。
お祝いの場に必ずといっていいほど出されるお酒。庶民の間で一番のお祝い事としてされていたものの一つに婚礼がありますが、ここで出されるようなお酒とは一体どのようなお酒だったのでしょうか。
江戸時代の“ブランド”酒について調べてみました。
まずはいつものように応援宜しくお願いします


【酒の産地】
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(「gallery灘五郷」さんよりお借りしました)(リンク [2]

時代により変動があるが、下り酒の7割から9割は、摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)と呼ばれた、伊丹や灘の周辺地域で産した酒であった。それ以外では山城、河内、播磨、丹波、紀伊で造られた酒、あるいは中国ものと呼ばれ伊勢湾沖で合流する伊勢、尾張、三河、美濃で造られた酒が、下り酒として江戸に入っていった。

(wikipediaより)
【上級酒】
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(「江戸下り酒銘醸地・伊丹郷」のHPよりお借りしました)(リンク [4])

上方、とくに摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)で造られる酒は味も品質も良く、江戸でも定評があった。
上級酒である諸白はさらに好まれ、下り諸白(くだりもろはく)といって高値で取引された。将軍の御膳酒に指定された伊丹酒の『剣菱』も下り酒の一つである。

(wikipediaより)
当時の江戸に入ってきた酒の多くは上方からのものだったようです。とくに伊丹、池田、灘周辺からの酒が多く、しかもそれらは「下り酒」と呼ばれ、高級酒とされていたようです。現代でも有名な「六甲の水」。やはりおいしい水があったため、上方で上質のお酒が作られたのでしょうね。
さて、その「下り酒」の味はどうだったのでしょうか。

当初は馬の背に揺られて、東海道を下っていたが、やがて大量輸送を可能にする酒運搬専門の樽廻の港で船積みされ、熊野灘、遠州灘、相模灘を経て江戸へ運ばれた。その間、荒波にもまれることで、杉樽の中で杉の香りが酒の中にしみ渡り、いっそうの風味がつく。この杉の香りのする新酒を、江戸っ子はことのほか好んだ。
 江戸っ子の好みは、まだ麹の香りが抜け切れていないような、搾りたての新酒だったようである。これを「新走(あらばしり)」ともいった。出来立ての新酒のことで、まだ酵素や酵母、麹酸などが生きている状態だから、新陳代謝を活発にする働きが高く、健康にもよい酒だったはずである。

(江戸時代の色風景)より(リンク [5])
当初江戸近辺で作られていた酒は甘口濁り酒だったようですが、上方から下ってくる酒は澄んでいて、きりっとした辛口で、しかも輸送中の杉樽の香り までついていた様です。当時は「清酒(すみざけ)」と呼ばれていたようです。
確かにお祝いの席に重宝がられるのもわかる気がしますね。
その後も、雑菌の少ない寒い季節に造るから「寒造(かんづく)り」とも呼ばれ、低温殺菌の「火入れ」などの技術も開発されて、日本酒の品質は向上してゆき、大量生産が可能になるにつれ、このような清酒が庶民の口にも入るようになったようですね。
さて、この「下り酒」「下りもの」という言葉には面白いエピソード(?)があります。
まず「下りもの」の語源について

上方で生産され、大消費地江戸へ輸送され消費されるものを総じて下りものという

この「下りもの」に対して・・・・・

下りものには莫大な運送費がかかるため、上方から江戸への下りものには不良品、低品質なものは除かれた。また江戸から見ると上方から江戸に下る下りものは高級品だらけであり、江戸近郊の物産は下りものと比較して低品質であった。したがって、下りものでない低品質な物、転じて低品質な事柄を「下らない」と言うようになった。

(以上「wikipedia」より)
現代の「くだらない」という言葉はここから来たようですね。

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