昔からその地域に根付いて今日まで歌われている歌と言えば「民謡」ですね。
この民謡というもの、おのおのの地域共同体の中でどのようにして生まれ、どんな場面で歌われてきたのでしょうか。想像するに、共同体の生活とはかなり深いかかわりがあるように思い、今日はちょっとそのあたりを探ってみたいと思います。
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(『にしん漁』北海道デジタル図鑑(リンク [2])より拝借)
民謡とは、民衆の、労働・儀礼などの集団の場において自然に発生し、伝承されてきた歌謡。素朴な生活感情を反映し、地域性が強い。遊び歌・祝い歌・仕事歌・酒盛り歌・盆踊り歌などがある。(「大辞林」より)
このように「労働」「儀礼」などとの結びつきがあるようですね。また自然発生とありますが、歌われ始めた時の状況はいったいどんな状況だったのでしょう。ここはひとつみんなで想像力 🙄 も働かせて考えてみましょう。
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ところでこの「民謡」という言葉ですが、実はこの言葉が使われだしたのはわりと近代になってからのことらしいです。
ウキペディアによると、「民謡という呼び名は明治時代半ば、民俗学など学問的な必要からドイツ語のVolksliedもしくは英語のfolk songの訳語として創出された。それ以前は地域や時代により様々に呼ばれていたものを総称したものである。当時は里謡(りよう、さとうた)、俚謡(りよう)とも呼ばれた。」そうです。
さて本題ですが、今日に残る民謡の種類には下記のようなものがあるそうです。
(「日本の民謡」より参照(リンク [3]))
[民謡の種類] 日本民俗学の祖柳田国男は,民謡を〈平民のみずから作り,みずから歌っている歌〉(《民謡の今と昔》),〈作者のない歌,捜しても作者のわかるはずのない歌〉(《民謡覚書》)などと規定し,そうした歌謡の歌われる場と目的の面から民謡の種類を次のように分類した。
(1) 田歌 畑歌を含む。田打歌,田植歌,草取歌,稲刈歌など。
(2) 庭歌 屋敷内の作業場での仕事に伴う歌。稲扱(いねこき)歌,麦打歌,剰搗(ひえつき)歌,
麦搗歌,臼搗歌,粉恐歌,糸引歌,地搗(じつき)歌など。
(3) 山歌 山林原野に出て歌う歌。山行歌,草刈歌,木おろし歌,杣(そま)歌,茶山歌など。
(4) 海歌 水上の生活,水産一般の作業に伴う歌。船卸歌,船歌,潮替歌,網曳歌,歌など。
(5) 業歌(わざうた) ある職業に携わる人だけが歌う歌。大工歌,木恐歌,綿打歌,茶師歌,
酒屋歌(酒造歌),たたら、踏歌など。
(6) 道歌 馬子歌,牛方歌,木遣(きやり)歌(木遣り),道中歌など。
(7) 祝(いわい)歌 座敷歌,嫁入歌,酒盛歌,物吉歌など。
(8) 祭歌 宮入歌,神迎歌,神送歌など。
(9) 遊歌 田遊歌,鳥追歌,正月様,盆歌,踊歌(盆踊歌,雨乞踊歌)など。
(10) 童(わらべ)歌 子守歌(眠らせ歌,遊ばせ歌),手鞠歌,お手玉歌など
(以上《民謡覚書》)。
上記の(1)~(6)までは労働の場面で、(7)(8)は儀礼の場、(9)は季節の行事のとき、(10)も子供をあやすという意味で労働の場とでも言えそうですね。
こうしてみると圧倒的に日常労働の場で歌われることが多かったのがわかります。
[4]
盆踊りには民謡が欠かせません(北海道デジタル図鑑より)
このように歌は人々の生活と密着してさまざまな場面で歌われていました。
共通するのは歌を歌うことでみんなが思いをひとつにし、労働の苦しさを忘れ、あるいはみんなで祝い、といったように、その時々の場において民衆の心をひとつにまとめ上げることに寄与していたといえるのではないでしょうか。
おそらく誰かが先陣を切って歌いだし、周りがそれにつられて同じ歌を歌い、声を合わせることで心もひとつになってゆく・・・・なんて様子が想像できますね。
民謡のなかに○○音頭というのが多くありますが、これなどはその事例ではないでしょうか。
また特に労働の場面では、初期はみんなの元気を出させ、リズムを刻むことで効率を高める為に掛け声だけの繰り返しだったかもしれません。おそらくそのころは”歌詞”となる言葉はあまりなかったのかもしれません。私自身今まで民謡を聞くときもその歌詞自体はあまり注意して聞いた経験がないのですが、上記の視点から歌詞の内容をよく聞いてみると、その地方の気候や地形その他の特殊条件下のもとで、どのような気持ちで労働をしていたのかが想像できるのではないでしょうか。
特に日本の民謡は、日本語の発声、韻から生まれたもので日本固有の音楽の原点といえる。(ウキペディア)
とあるように、独特の「節回し」というのがあり、特徴のあるリズムを作っているのも面白いですね。
△△節といわれるような名前から、そのイメージが思い浮かべられますね。
その民謡も今では歌われる機会や場が少なくなりましたが、共同体の生活と密着していただけに、母体である共同体の喪失とともに民謡は日常歌われる事がなくなってしまったということです。