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婚姻形態と「美白」

「肌の透き通るような美人」という表現。
現代ではあまり使われなくなりましたが、それでも「美人」という観念の中に「美白」という意識が今でも見え隠れしています。
江戸時代の美人画や、京都の舞妓さん、写真の博多人形などなど・・・
そのルーツは何だったのだろう?と調べてみると、当時の婚姻様式の影が垣間見えるなかなか興味深い事実があったので、紹介したいと思います。
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「肌の透き通るような美人」という観念は、平安時代に宮廷貴族の価値観から発生したようです。
現代にも繋がるこの「美白」をもって美人とする観念、その発生の源にはこの当時の婚姻様式や権力構造が関係しているようです。
この時代の婚姻制度は婿取り婚。男性が夜な夜な女性の元に通います。
一方当時の貴族社会は、律令政治の爛熟とともに「跡取りは男」という形態が確定して行きます。
飛鳥や奈良時代の様に女性が時には帝位に付き、政と権力闘争に参画するという機会は無くなります。女性の地位は低下し、父や夫に頼って生きて行くしかなくなります。
地位や権力のある男性を家に迎え入れることは、女性の一生にとって大きな意味を持って行きます。
一方、貴族の女性は外に出てはいけない。男性が通ってくるのを待つだけ。
明かりがあまりない当時にあっては薄暗い中でいかに自分をキレイに見せるかがポイントとなってくる。

結果「透き通るような白い肌」が美の基準になって行ったのだそうです。
当時の「美人」さんは、現代の私達が見るとちょっとびっくりするぐらいの厚化粧だったのでしょう。しかしそれも、いかに地位のある男性を家に招き入れるか、という貴族女性の必死のアピールだったわけです。
ちなみに、「秋田美人」「新潟美人」「博多美人」など、美人が多いとされる地域は決まって日本海側。これも「透き通るような白い肌」という美意識と無縁では無い、という説があるそうなので参考までに・・・
こうした地方は古くから大陸との交易が行われており、白人とも混血も多くいた。当然色白の女性が多くなる。「美人が多い」地域の裏にはこんな国際事情もあるそうです。

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