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村落共同体で、香典は「お米」だった。どうしてか.....?

Posted By koukei On 2007年11月14日 @ 8:08 PM In E 8 日本 | 5 Comments


香典は香奠ともいい、仏事においては香を献ずることから、香華の料として亡くなった人に供える金銭や物品のことをいう。現在では香典というと現金だが、かつては金銭よりも葬儀に用いる食品、なかでも米を供える地域は多かった。


近親の人はその関係に応じて多額の香典を負担するが、これは米などの食品も同じであった。とくに米の場合、一俵香典といって俵で供える慣習が関東、中部、九州など各地でみられる。


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例えば千葉県銚子市小畑町では、亡くなった人の子供はそれぞれ現金のほか、「荷代(にだい)」として米を一駄(米二俵のこと。かつて馬で二俵ずつ運んだため)、兄弟などは米を一俵などと大量の米を供える。その一方で村内ではわずかではあるが一定額の香典を家々から集めることがある。これも金銭だけでなく米を集める場合も多く、前述の小畑町の場合、地域の人々は「叺(かます)」といって米を二升持ってきた。



葬儀では近親の人々は死の忌みのため何もせず籠もっているものとされ、地域の人々が葬具を作り、火葬や土葬を行うなどして実務を担っていた。こうして多くの人手を必要としたため、食品の調達はもっとも重要であった。


「葬祭研究所」  [1] から
昔は香典というと、お米を供える事が多かったという事実を私も知りませんでした。
そして、その理由が、近親の人々は籠もってもらい、地域の人達が総出で葬祭の実務を担う形で行う「祭り」である。その為に多くの人達の食料が必要であったので、香典(お米や食料)を村人が供えた。
当然に香典返しなどなかった。相互扶助での共同体で「お互い様」の文化である。香典返しは、都市文化で、共同体が解体しだして人々の出入りが激しくなり「お互い様」が成立しなくなった。行為を無にしない程度に義理を返しておくと言う方便で「反返し」などが発生したらしい。


家族に死者が出た場合、昔は、近隣の者たちが手厚く葬っていたのだろうと思われます。応仁の乱以降、各地の荘園が戦乱のために崩れ、民衆が自分の村を管理するようになるんです。そうなってから葬儀は村の共同の行事として、行うようになったようです。死んだ人の村への貢献度によって、村の全員で行うとか、半分でやるとか、そういった規則ができていきました。



みなさんも「村八分」という言葉をご存知だと思うのですが、これは火事と葬儀以外は村人と認めないという通告です。これを見ても、葬儀というのはいかに村で重要な公の行事だったのかがわかります。葬儀がこうした公の性質からプライベートなものに代わっていくのは都会に人が出て行ってからなんです。


「beam net site」
から
日本では古くから、多くの庶民は村落共同体にて共同作業を前提となる稲作農業で暮らしていた。
ですから村人の葬式は、村人が総出で行う葬祭です。葬祭と言う時は、「祭り」という字が入っています。
村人の「死」は、村落共同体にとっての「死」でありました。ですから、「死」は、単に一家族だけのものではなく、共同体全体で悼むものであり、悲しみを分かち合い乗り越えて行く「祭り」だったのでしょう。
 


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[1] 「葬祭研究所」 : http://www.sousaiken.com/ssk/minzoku/kome.html

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