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共同体に伝わる五穀豊穣を願う【舞い】

昔から各地に伝わる【踊り】は、その多くが五穀豊穣に感謝し、神にささげる為のものとして行われてきたものが多いですね。 😀
ところでこの【踊り】ですが、
Wikipedia(リンク [1])によると、

舞が専門的技能を有する少数で演じられるのに対し、素人が群れをなす場合が多く、場も特殊な舞台等は必要としないという特徴がある。民衆の中から生まれたものでありその起源を求めるのは難しいが、念仏踊りにあるという説が一般的であり盆踊りがその典型である。

とあります。
この民衆の【踊り】の代表が盆踊りだとすると、一方で専門技能を有する人々により踊られてきたものの代表が【神楽】ではないでしょうか。
今日は特に神に捧げる【踊り】に注目し、神に奉納するために奏される歌舞【神楽】(かぐら)について調べてみました。
いつものように応援よろしくお願いします。 [2]


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(写真は神楽「磐戸」に登場する「天宇津女命」)
神々の宴(リンク [4])より

2 神楽の起源
 神楽の起源は、日本の古典である「古事記」及び「日本書紀」の中で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸に姿を隠した際、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が天の岩屋戸の前で神懸かりとなって舞い踊ったとされる神話が定説となっている。また、芸能にあってもこの神話が起源といわれ、シャーマンとしての天宇受売命(あめのうずめのみこと)の憑霊現象が芸能のルーツというわけである。
 以下に「古事記」上巻に書かれている当該神話部分を掲載する。
※ 「古事記」~臣安万侶(しんやすまろ)撰、712年
 「天宇受売命(あめのうずめのみこと)、天の香山の天の日影(ひかげ)を手次(たすき)にかけて、天の真拆(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結(ゆ)ひて、天の岩屋戸に宇気(うけ)伏せ、踏みとどろこし神懸(かみがか)りして、胸乳(むなち)をかき出で、裳緒(もひも)を陰(ほと)におし垂れき。」

ここでは女の神様が岩戸の中に閉じこもった男の神様を外に出す為に気を引こうとして行ったもののようですが、【舞】には神をも引き付ける力があったということなのでしょう。
以来、神に願い事を捧げる時に【舞う】ことが必要不可欠のようになっていきますね。

3神楽の意義
 神楽は、辞典(大辞林・三省堂)によれば、「神を奉るために奏する歌舞」と記載されており、その語源は「神座」(かむくら)が転訛して神楽になったとされている。
 島根県石見地方及び広島県芸北地方で舞われている神楽は、佐太神社の七座に代表される出雲神楽の流れを汲むとされ、神楽演目は、「磐戸」「八岐大蛇」などのように、日本の古典である「古事記」「日本書紀」の神話を題材としたものが多く見られる。
 個々の神楽演目について言えば、それぞれ狭義の意義が存在すると思われるが、この地方における神楽奉納の最大の意義は、農耕を営んできた日本人が、「日の神とされる天照大御神に対し五穀豊穣を祈願すること」にある。

このように、【神楽】は、専門家たちによって神への奉納の舞として演じられ、芸能として今日に至っているようです。
再度Wikipedhiaによると

神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)に分けられる。

里神楽は、

一般に神楽と言われているもの。里神楽という語は御神楽との対比に用いられ、狭義では関東での民間の神楽に用いられる。
巫女神楽
巫女が舞う神楽。神がかりのために行われた舞がもととなり、それが様式化して祈祷や奉納の舞となった。前者の特徴は順・逆に回って舞うことなどで、その古態を残すところもあるが、現在では後者がほとんどである。鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物を持って舞う。

ほかにも、
巫女神楽、出雲流神楽、伊勢流神楽、獅子神楽、太神楽などがあります。
いずれにしても、民の神に対する感謝の気持ちが今の世にまで【舞】という形で受け継がれてきたわけですね。 😀
次回は民衆自身が踊る【田楽】【盆踊】りについて調べてみたいと思います。

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