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日本と西洋、農村の違い

Posted By sinkawa On 2007年12月29日 @ 7:08 PM In D 東洋と西洋 | 4 Comments

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カルタに農奴をかける支配階級
今回は、日本と西洋の農民の暮らしの違いに着目して見たいと思います。
産業革命前の時代ですが、同じ農村でも共同体の存続状況に決定的な違いがありそうです。
〈搾取されたヨーロッパの農奴と自立していた日本の農民〉 [2]より引用

「素朴な農民」という言葉はヨーロッパ人にどのような連想を呼び起こすのであろうか。のどかな田園風景。純朴な農夫たちが馬を曳き、敬虔な気持ちで額に汗をにじませ畑を耕している。やがて晩課の鐘がなると、あぜ道の草の上に腰を下ろし、リンゴ酒のポットと分相応のサンドイッチの包みを開ける。嬉しそうな顔をして真っ赤にした子供たちが蝶々を追いかけている。・・・そんな風景を連想するのだろうか。
否、「素朴な農民」からヨーロッパ人が連想するのは「農奴」である。貴族の主人や大地主から搾取され、殴打され、もっと収穫を上げろといつも鞭で叩かれる農奴である。貧しく反抗的で、常に暴動を企てている、顔に深いしわが刻み込まれた人たちだ。
藁の上に寝て、涙を流しながらパンを食べ、やと一年に一度新しいズボンを、五年に一度一足の靴を手に入れることのできる人たちだ。生涯一度も風呂に入らず、自立することなど考えたこともなかったから、読むことも書くこともできない人たちのことを頭に思い描くのだ。
これは産業革命以前のヨーロッパの農民に関する史料を調べたときに、必ず出遭う農民の姿、生活だ。農民の決定的な特徴は、人々の食糧の生産をひとえに担っていたにも関わらず、領主の横暴の最大の犠牲者だったということだ。
鎖国時代の農民
一方、鎖国時代の日本の農民の状況はどうだったのか。彼らもまた、数から言えば日本社会最大の集団であり、3000万人の人間を養う食糧を確保するためには、多くの人手が必要だった。日本の農民も当然村に住み、田畑を耕した。ここまではヨーロッパの農民と同じだ。
しかし日本の農民は、庄屋や地主の横暴の犠牲になる心配はほとんどなかった。それどころか、彼らは自立していたのだ。これはヨーロッパの農民には生涯体験できなかったことだ。日本の至る所に自立した村落共同体が作られ、どの村にも「寄り合い」があった。寄り合いではメンバーの中から代表者一人と、二人の委員が選ばれた。彼らの役目は対外的に村を代表することだ。特に年貢、つまり納税の問題について、村の人々の意見を代弁するのが彼らの任務だ。税の額は米で計算され、脱穀して俵に詰めた米が納められた。これは村ごとに毎年異なり、作柄に応じ、収穫を基準にして決められたので、同じ領内の隣り合わせた村でも異なり、年々の豊作凶作により加減された。
重要なのは、日本では税額は決して農民の頭越しにお上によって一方的に決定されたのではない、ということだ。納税額を決めるのに、農民は村の代表者を通して協議・決定に参加する権利を持っていた。
飢饉の際の対応
江戸時代には三度の大飢饉が発生した。大災害の時は農民の代表と大名の代理人との間の税の交渉も暗礁に乗り上げ、相互の話し合いは決裂した。飢えているのは農村の人間だけではなく、町の人たちも農村の人たち以上に、はるかに危機的な飢餓に直面していた。貧乏人も金持ちもなくこのような場合は、もはやお金は何の助けにもならない。
大都市では、飢えた人たちのために残っていた最後の米の炊き出しが行われた。 1833年と1837年の間の最悪な時期には、幕府は百万都市江戸の全住民に無料で毎日一杯のおかゆを振る舞った。しかし日本全国が被害を被った大災害の年を除けば、農民たちは、大体うまくいっていた。年貢米を基にした租税制度と全国における米の分配も至極円滑に機能していた。
歴史家の歪んだ日本史観
それなのに、「毎年農民による暴動があった。鎖国時代には全部で1500回くらいの農民一揆があった」などという日本の歴史家は多い。
農民一揆と数えられている事件を詳細に調べてみると、妙な結果が判明する。ある村の代表者と大名の代理人が年貢米の納入量について話し合ったが、合意に達することができずに、村の代表者が大名屋敷に年貢の軽減を願い出るために、協力して話し合った。これだけで「農民一揆」に数えている。
陳情が暴力沙汰になったのは極々希なケースであるということは、全く斟酌されていない。事実、「農民一揆」といわれている出来事の大半は、天候不順のために収穫量が落ち込んでいたので、農民たちが配慮を願い出るといった正当な申し出をしたとか、町へ静かに出かけていって、自分たちの事情を説明してから、また静かに立ち去っただけに過ぎないことが証明されている。

(以上引用終わり)
西洋では、土地だけでなく農民自体が領主の所有物であり、絶対的に支配され搾取されるため、農民自身は警戒心、否定視しか持ち得無い状況に追い込まれています。当然、共同体としての共認充足が生活の基盤になるどころではありません。反逆と宗教しか、救われる道はありません。
一方日本では、農村の生活基盤として共同体が存在し続けています。領主との年貢の交渉や新田開発の発意など、村単位で話し合い交渉しています。
ここには、農業が自然を対象とし食料を確保するという、人として根本的な仕事であるという領主・農民の共通の想いが根底に流れているように感じます。
そして、農村には共同体の維持が不可欠であることが共有されています。
日本の教育現場では、自由を勝ち取る西洋の反逆と革命が大衆の本来の姿であり、日本でも同様に農民は常に戦っていたと教えているようですが、闘う必要がなかった=共同体が存続していたことをしっかり教えていくべきだと感じます。


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