白川郷の婚姻様式 [1]は、長子(アニ)のみ嫁取り、次男以下は妻問い(夜這い)なんですね。インド南西部ナーヤル・カースト [2]との共通性が気になりますね!?
今日は白川郷の補足をします。(赤松啓介『村落共同体と性的規範』より)
まず次男以下の妻問い(夜這い)です。
大家族では、男も女も家を離れることを絶対に禁じていた。ツマドイは当人同士と周囲の黙認があるだけで、法的には何の規制もない。ただ彼らの間では「手ジルシ」を与えたが、内縁の契約ということだろう。しかし同じムラの男なら、手ジルシも出さないことがあったらしい。
銀のかんざし 貰うた夜さり
じつがあるなら 前掛けおくれ
「銀のかんざし」よりも「前掛け」が手ジルシになったのである。こうすると、だいたい生涯続いたようだが、ずいぶん放縦な者もいたらしい。しかし子供ができると人情つながりで、男の方からシンガイ稼ぎでいろいろと贈ったようである。
(写真は、世界遺産ひだ白川郷 [3]より。)
応援よろしく by岡
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大家族の住居の中にチョーダイという一室があり、家中の女はみなそこで寝させられた。男はチョーダイ以外の場所で寝るので、定まった場所がない。
チョーダイの入口近くには、ふつう家長夫婦が寝る。だから公然と認められないツマドイはできないようになっていた。
女たちが子供を多く生むほど喜んだようで、家長の子も女たちの子も待遇では別に差別はしなかった。ただ父親の明確でない旅がらすの風来坊やバクロなどの子を産むと、マカナイゴつまり私生児になり、女たちも非常に恥としたという。
アニ(長男)も妻帯する前はツマドイした。しかし必ずしも嫁にするわけではない。
嫁を迎えるのは大変で、先方は女を出したがらぬから、折り合いがつけねば「逃げていく者は仕方がない」ということになって、小さい風呂敷に身の回りの品を包んだだけで逃げ出した。
近くまで出迎えていた男側の者が家に連れて帰ったが、後からシャベリ(仲人)が娘の家に行き、仲直りができると村人を招いて祝宴を開く。この「仲直り」が祝言になるわけだが、どうしても女の家が出さぬとなると、女と打ち合わせの上でほんとうに盗み出した。
山梨のドラブチやサイドラに当たるわけだが、こちらは本人同士はナジミだから実家へ帰ろうとしなかったので、どうもこうしたやり方でアニの嫁をとるのが普通であったらしい。
最近になるとだんだん華美となり、結婚式も一般の儀式に近くなったようだ。これは分家を許さないで労働力を確保しなければならなかった貧しい生活環境と関係があろう。
次男以下のツマドイって本当に原始の婚姻制ですね。インド南西部ナーヤル・カースト [2]のドラヴイダ人同様、長男のみ父系制の婚姻制が、上から与えられたのでしょうか?