- 共同体社会と人類婚姻史 - http://bbs.jinruisi.net/blog -

ギリシャ彫刻になぞらえられるほど、生き生きと魅力的だった日本の労働者たち

 このブログでも、何度か取り上げられている、渡辺京二氏の「逝きし世の面影 [1]」を、お正月休みに、読んでみました。
未だ投稿されてない非常に興味深い内容があったので、紹介します。
 日本女性が、「大和撫子」として、欧米人から非常に高い評価を得ていたことは有名な話ですが、実は明治初期までは、日本の男性(肉体労働者)も、そのたくましい体がしばしば彼らの嘆賞の的となっていたというのです。
ninpu3.JPG [2]
 当時の、日本男性がどれぼと賞賛されていたか、興味を持たれた方は、クリックして、続きをお読み下さい。
[3]

 ヒューブナーも日本人船頭の「たくましい男性美」を賞揚し、「黄金時代のギリシャ彫刻を理解しようとするなら、夏に日本を旅行する必要がある」という。彼に拠れば、ギリシャの彫刻家は裸で働く人びとを日頃見つけていたので、あのような迫真的な表現が可能になったというのだが、日本の肉体労働者もギリシャ彫刻になぞらえられては、いささか面映ゆかったろう。もっとも彼は、日本人は足が短いのが欠点と言い添えてはいるが 。
 だが、ヒューブナーだけでなく、明治19年に来日した米人画家らファージもまた、日光への旅に雇った人力車夫の肉体から古代ギリシャを連想したのである。「雨傘の下から、私は車夫たちの筋肉の動きを研究したり、時には素描を試みたりした。彼らはほとんどみな、腰のまわりのややこしい帯を除いて裸だった。芸術家にとって懐かしい古代の朧気な回想-脚と股のきりっと締まった筋肉、背中の波打つ隆起-は職業上の研究熱をよみがえらせたし、またそれは画家への天恵と思われた。彼は車夫たちの「透明な汗の流れは赤銅色の裸体にニスをかけたよう」だと言っている。
 ギメの乗った船が明治9年、横浜港に着いたときの話である。ギメの眼は船に乗り込んで来た日本人の一団に引きつけられた。「船の甲板に現れるあの昔の幻影は何だろう。若いローマ人風の一団が堂々と行進してくる。彼らは長いラテンの衣服をまとい、ティトス風に髪を刈り、その顔立ちはほっそりとして、上品でけがれなく、表情にはアジア風なものは何一つない。私たちの方に来るのをみれば、まさにブルートゥスの息子たちだ。」彼らは実は、ギメと同じ船で帰国したあの日本人技師を出迎えに来た召使いたちだったのだ。「若い日本人たちは、彼らの主人の荷物の上に、浅浮彫にみられる風情で、どっかりと腰を下ろした。優美な襞、きまった輪郭、むき出しの腕のポーズ、組んだ足、下げた頭、衣服と組み合わされて調和の取れた体の線、全てが古代の彫刻の荘重な美を思い出させる。

 当時、欧米人の眼に、労働者階級の日本男性が、ギリシャ彫刻にたとえられるほど、生き生きと魅力的に映っていたというのは本当に驚きです。
 筆者は、「身体がある社会の特質とそれによって構造化された精神の表現であるとすれば、欧米人の眼に当時の別当や人力車夫や船頭や召使いの身体が、美しく生き生きとしたものに映ったという事実は、彼らがまさしく古き日本の社会の中で、ある意味で自由で自主的な特質を持った労働に従事していたのだという」、従来の日本史学からすれば許すべからざる異端的仮説を成立可能ならしめるものであるのかも知れない。」と展開し、当時の社会の構造の考察へと進んでいきます。(続く)   by tama

[4] [5] [6]