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人身御供としての女性を捧げた『一時上臈』

日本古来から伝わる神事などがそのまま尋常の生活にも入り込み、民衆の生活に息づいている慣わしはいろいろあります。しかし、その中にはもともとの意味合いがまったく異なる意味に変ってしまう場合もあります。たとえば「一夜妻」などはその典型事例で、もともとは神を迎える巫女を指した言葉だったものが、近世以来遊女を意味する言葉に変ってしまいました。
その一方で、「一時上臈(いっときじょうろう)」や「一夜官女(ひとよかんじょ)」といったもののように神の嫁としての流れを残し、今でも神社の祭礼に出てくるものもあります。
今日はそのうち「一時上臈」の祭りに注目し、そこでの男女の役割の変化についてみてみたいと思います。
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兵庫県西宮市・岡太神社:
南北の講から各一軒頭屋を選び、竹の枝先に紅白の神で男女を象った「一時上臈」と呼ばれるひとがたを、米や柿、鏡餅などの神饌を盛ったさんぼうに立てて神前に供える。地元ではこれを人身御供の男女であったと伝えてきた。
ところが近世の『摂陽落穂集』(浜松歌国・作、文化8年1808年)にはこの祭についてまったく別の記述をしている。
「小松村の南に岡田ノ神社といふあり。俗世おかしの宮と云伝ふ。例年の祭礼に社前へ供物を備ふ。男旧例を以て其年此村へ嫁ぎたる女の衣服を着て此役を勤ム(ママ)。衆人後口に従ひ手をたたきて拍子をとる。一時上臈アァおかしといふ。夫故おかしの宮といふ。」
その年に村に嫁いできた花嫁の衣装を男が着て、「一時上臈ああ、おかし」とかけ声をかけて喝采するのだと云うのである。一時・・・すなわち、この祭の時だけ「上臈」=女として神饌を供えるというわけである。と言うことはつまり以前は女性がこの役をしていたのが、やがて男性中心の頭屋制度が祭の中心となってゆき、女性のにえとしての役目は消えていったということになろうか。
その究極の姿が人形御供となる。現在のこの神社のやり方である、本来の一時上臈に「見立てた」人形を置く形式はこうした巫女的な犠牲者である女性を排除し、祭というものが本来の形、意味合いを薄くしていった・・・言い換えると女性犠牲を排除することで、共同体が男性社会中心に変化してゆく課程を如実に示している。ついこのあいだまでの各地の古い祭が男性中心の講などの共同体内部で運営されていたのはこのためなのであろう。こうして祭は男性のものに変わっていった。かつては男女すべてが関わった祭の、女性は傍観者、炊き出し役などへ身を引いてゆく。そこには民間シャーマニズムへの圧倒的な仏教、儒教の迫害がある。そして女性蔑視のはじまりもここに根っこを見ることができるのである。
本来、犠牲となる女性こそが祭の主役であった。むしろ古い時代ほど、祭、神事に関しては男女平等になって村を災害から守ろうという神事本来の意味合いが深かったのである。

「民族学伝承ひろいあげ辞典 」(ちょい困る日本人の歴史的風習) [3]より)
多くの場合、上記のように祭りというものの中心に実は女性が主役として存在していた事がわかります。
そもそも「一時上臈」とは、村を災害から守る為に「神の嫁」として女性を捧げることだったらしいですね。それがいつのまにか新婦の衣装をきた男性が代役を勤めることになり、さらにはその形をした「人形」を備えるものへと変ってきたようです。
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このあたりに、もともとは神への奉公であり村人みんなの共同作業であったも祭りが、さまざまな価値観念の挿入により、その本来の意味合いが薄れて「カタチ」のみが様式化してしまって今日に至っている様子が伺えます。これも「共同体」そのものがなくなってゆく過程と無関係ではないのでしょう。

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