東洋と西洋。
以前当ブログの記事「日本人::勤勉性の源泉は何か!?」 [1]で、「日本人の勤勉性の源泉」について紹介されています。
>勤勉な性格が1万年かけて形成されたのだとすれば縄文時代まで遡るわけであり、「本源的共同体社会⇒同化能力」を下敷きに「地形的環境⇒生産様式」が複合して、日本人の勤勉性が形成されているのでないでしょうか!<
今回は、引き続き「日本人の勤勉性の源泉」を探る上で、「遊び」に対する東洋(日本)・西洋の捉え方の違いについて参考になる記事を紹介したいと思います。
↓いつものをヨロシクお願いします。
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「あそびのすすめ」(ブログ:[BALL] JOURNAL) [3]より、以下引用させて頂きます。
旧訳聖書において、人類の祖先アダムとイブが、禁断の実を食べたためにエデンの園という「遊び」の楽園を追い出された。人間はこの罪のために、「労働」をしなければならなかった。「労働」とは人間にとっての罰だったのだ。したがって、一週間に一回の安息日に遊ぶのは当然のことである。(日本文化デザイン会議編「遊びの再発見」紀尾井書房)。
西洋では、「遊び」と「労働」というように対立したものの考え方(二元論)をする。東洋では、対立したものの考え方よりもすべてを丸く収める考え方(一元論)を好む(尾崎茂雄「アメリカ人と日本人」講談社現代新書)。この考え方の違いが、日本の「遊び」の思想に影響を与えている。たとえば、古代日本には「神遊び」という儀式があった。これは神と人間が「遊び」を通して交流し、五穀豊饒を祈願し、健康や幸福・繁栄を感謝する。「祭り」の原点であり、「労働」「文化」「生活」の根源が「遊び」に集約されているのだ(樋口清之「遊びと日本人」講談社)。
また仏教用語に「衆生所遊楽」という言葉がある。これは、人間は遊び楽しむために生まれてきたという思想である。「遊び楽しむ」とは、どんな苦難にあっても生き生きと人生を楽しむように生きるという意味だ(「仏教哲学大辞典」)。つまり、東洋思想では「遊び」は生き方そのものであって、決して「労働」と対立するものではなかった。ここに明確な一元論が読み取れるのだ。(岩田慶治「人間・遊び・自然」NHKブックス)
やがて、日本人は西洋文化とともに、「労働」と「遊び」は対立するものだという二元論を知った。しかも「遊び」は単独行動であり、他人との和を邪魔するという考えが「遊び」の価値を低めてしまった。つまり、西洋の「二元論」で分けられた「遊び」と「労働」が、さらに東洋思想固有の「一元論」のために、「遊び」は罪悪だとの考えの元に切り捨てられてしまったのである。
このように東洋の「遊び」観と西洋の「遊び」観は本質的に違う。現代の「遊び」観は、主に「労働」から逃げるための「西洋的な遊び」観である。しかし、現代日本人に望まれる本当の「遊び」とは、流行に乗って商品化されたトレンディーな「遊び」ではなく、自分の人生を生かすための「東洋的な遊び」だと思うのである。
元々、日本人には「労働」と「遊び」は一体のものであった(対立するもではなかった)ようです。ところが、近代化(西洋化)により、「労働」と「遊び」は別物という感覚に変化していきました。これはまさに、村落共同体(農業生産)において「生産」と「消費」の場が一体であったものが、近代化(工業生産への以降)に伴い、都市化→核家族化(村落共同体の解体)によって、生産(企業)と消費(家庭)の場が分断されていった過程と重なります。
元来、日本人にとって「労働」は決して罰などではなく、「労働」は「遊び⇒祭り」とともに一連の活動であり、みんなの期待に応える充足過程そのものだったのではないでしょうか。だからこそ、ひたすら「労働(生産活動)」に収束していったのではないかと考えられます。
このように、「日本人の勤勉な性格」は、遙か縄文時代から本源的な共同体社会における生産活動(充足過程)を通じて育まれてきたのではないでしょうか。
(読んでくれてありがとう。) 🙂