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お盆と言えば、帰省。昔は「薮入り」と言う言葉が有りました。

聞いたことがありますか?  薮入り(やぶいり) と言う言葉

「薮入り」とは七月十六日(旧暦)の行事。もともと、嫁が実家に戻る事を「藪入り」といっていたが、江戸・元禄の頃から奉公人が主人から暇を貰って故郷に帰る事をいうようになった。
「薮入り」の語源は、藪の深い故郷に帰るからという説が一般的であるが、父を養う為に生家に戻るから「養父(やぶ)入り」という説もあるそうだ。

江戸時代、丁稚(でっち)と言って、子どもたちは15歳前後から商家を選んで奉公(住み込みの働き)に出ていました。当時の奉公人たちは例年、お盆と正月の十六日には主人から小遣いをもらって、親もとへ帰ることができました。この休みを、「薮入り」と言いました。
丁稚奉公とは、商人の労働力確保の制度でありながら、一方で教育制度でもありました。
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丁稚制度とは江戸時代から昭和時代までつづいた「商店主育成制度」です。
年齢10歳前後から、親元を離れて商店に住み込みです。衣食住付の無給制度です。こき使われます。仕事は多岐にわたり、早朝の掃除から夜の後片付けまでびっしり働かされます。しかし仕事終了後に、読み書きそろばんを教えてもらえるなど、商人としての姿勢、基礎知識全てを教えてもらえる教育制度でもあります。
貧しい家では、口減らしとして丁稚の出される事も有りました。
先輩からいじめられる事もあり、逃げ出したり、親元へ帰る子もいたらしい。
丁稚の勤続年数は約10年前後です。
二十歳前で、「手代見習い」となり、二十歳過ぎには一人前の「手代」と認められます。
閉店後は、自由時間となるので、大人の遊びも覚えだします。
番頭に昇進するは、30前後です。結婚も許されます。番頭になれば、暖簾分けと言って、自分の店を持たせてもらえる。しかし、激しい競争である大商店では百人以上の内から2~3人でけだそうです。
また、上方の大商店では、長男には家を継がせず、丁稚から育った叩き上げの成長株を娘の婿にして、店を継がせたりましていました。丁稚たちの出世競争により、優秀な経営者を婿として選定する制度です。商店の繁栄と婚姻制に結びつけるユニークな制度です。血族の長男に店を継がせる事をせず、外部から優秀人材(婿)を求めると言うのは、母系制民俗の名残を感じます。
このような生産の中にある少年教育の場は、第二次大戦後のGHQの教育制度改革によって、義務教育制度が整備される事で消滅してしまいました。

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