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初期人類は骨を食べていた!vol.15<初期人類の知能>

vol.14(直立二足歩行に関する仮説紹介) [1]で、初期人類からネアンデルタールまで野生動物だった と書きましたが、その当時の人類の知能はどの程度のものであったのか 今回も島泰三さんの著書『親指はなぜ太いのか』より紹介させて頂こう思います。
初期人類の知能が、どの程度だったか なんで解ると思いますか
それは、遺跡からでる「骨」や「貝」の特徴から、見る事ができるのです
今日は、初期人類の知能を、詳しく見ていこうと思います。
それでは、下のぽちっとして、500万年前の人類の世界へ出発してください。
では、いってらっしゃいませ。。  

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■初期人類の知能
それは、中期旧石器時代(ネアンデルタールの時代)の遺跡から出る「骨」や「貝」の特徴から見ることができます。
★遺跡から出る「骨」によって見えてくる知能
クラシーズ河口遺跡などの南アフリカの海岸遺跡では、中期旧石器時代(最終間氷期の13万年前~11万5000年前から最終氷河期の最後の寒冷期の3万2000年前までの間)から、後期旧石器時代(3万2000年前~1万2000年前)の獣の骨がよく保存されています。
中期遺跡からはミナミアフリカオットセイのあらゆる年齢の骨が見つかっています。
しかし、後期の遺跡からは乳離れ期(生後9ヶ月)の幼い個体の骨が大多数になります。
南アフリカでは、オットセイは10月~1月に出産しますが、それから数ヶ月たったオットセイの乳離れの季節には、多くの幼いオットセイが海岸近くに寄ってきて簡単に捕獲できるようになります。
しかし、中期旧石器時代の人類はオットセイの回遊の季節性を理解しておらず、漂流したオットセイを拾っただけなので、あらゆる年齢のオットセイの骨が遺跡に残されています。
だが、後期3万年前以降では、人類(現代型ホモ・サピエンス)はオットセイの回遊の季節性を知り、捕まえやすい幼いオットセイを取るようになっているのです。
この事実を見ると、真の狩猟者が現れるのは、現代のホモ・サピエンスである後期旧石器時代以降であることがわかると思います。
野生動物だったアウストラロピテクスはもちろん、中期旧石器時代のネアンデルタールやホモ・エレクトゥスでさえ、効果的な大型獣狩猟者ではなかったことが、わかると思います。
★遺跡から出る「貝」によって見えてくる知能
南アフリカの洞窟遺跡から出土したカサガイを測ると、中期旧石器時代(11万5000年前)には直径7cm以上あるが、後期旧石器時代(3万2000年前~1万2000年前)では、5~6cmに過ぎない。
現在では、このカサガイは全く利用されていないので中期旧石器時代と同じ大きさに回復している。後期旧石器時代にはカサガイを過剰に、十分に成長する前に、採取していたことがわかると思います。
これは、明らかに、人類による生態系の攪乱です。
野生動物は生態系の攪乱者としては生きてゆけない。
だが、ヒト(現代人)は最初から生態系の攪乱者として出現している。
このことが、ヒトと野生動物の決定的な違いである。
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この事実からわかる事は、人類の誕生から500万年近く、知能(観念機能)がほとんど発達していない野生動物だったことを物語っています。骨食というニッチを見つけ出したことによって、500万年近く、環境適応した野生動物としての存在であった事がわかるのではないでしょうか
ではなぜ ヒトはここまで知能(観念)を発達させる事ができたのか
疑問が湧いてきますよね。
その疑問は新シリーズ<【逆境⇒進化】初期人類の逆境>で明らかにしていこうと思います。
その前に、野生動物だった初期人類はどこに住んでいたのか を、<初期人類は骨を食べていた!vol.16>で、念のため押さえて次へ進みたいと思います。

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