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弥生時代の開始年代~再考に向けて~

今回は、2009/2/12にアップした★「弥生時代の始まりは通説より500年も早い」~その後★ [1]で紹介した、『弥生時代:衝撃の新年代発表から6年 自信深める歴博グループ』という新聞記事に至る、研究経緯などを調べてみました。
まず、『弥生時代の開始年代』と題した2003年3月の歴博によるプレス発表原稿と思しきPDFファイルを見つけましたのでリンク [2]しておきます。
この新しい年代推定は、従来から考古学で一般的に用いられてきた「炭素14年代法」 [3]に基づいて行われたようですが、下に示す加速器質量分析計(AMS)を用いたところが、「新しい」ようです。↓写真は(株)加速器分析研究所より拝借
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これによって、これまでの1000分の1の量で炭素14年代法が使えるようになった。土器にわずかに付着した炭化物、漆製品の塗膜、文書からはがれ落ちた小さな紙片など、以前のベータ線計数法では難しかった試料の年代が測定できるようになった。また、測定時間が短くなり、多くのデータが効率良く得られるようになったことも、炭素14年代法の普及に貢献しているらしい。
続いて、考古学界を騒がせることになった“衝撃の新年代発表”を取り上げた当時の新聞記事を紹介しますが、
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考古学界を騒がせることになった当時の新聞記事は、6年前ということですでにリンクできなくなっていたので、今後の継続追求のため、以下2件の記事を紙面から再現しておきます。(忠実に再現すべく注意しましたが、誤記などあるかも知れません。ご容赦願います)
以下 2003年5月19日の毎日新聞より再現

 弥生時代の始まりは紀元前10世紀にまでさかのぼる可能性がある」と、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが19日発表した。
 九州北部の弥生時代初頭の遺跡の土器などを放射性炭素(炭素14)法で年代測定し、従来より約500年も古い数値がまとまって得られた。教科書などで紀元前4~5世紀に始まったと記され、日本社会の原型ともいえる弥生時代像の根底からの見直しを迫る成果として論議を呼びそうだ。
 年代測定の対象となったのは、水田稲作の始まった弥生時代早~前期の福岡市の雀居(ささい)遺跡をはじめ、福岡県の橋本一丁田、佐賀県・梅白(うめしろ)遺跡など。土器に付着していたススなどの炭化物や水田跡の木杭など30点以上の試料について調べた。
測定値を実際の年代に修正した結果、夜臼(ゆうす)2式、板付(いたづけ)1式として分類される土器の年代が紀元前9~8世紀に集中。従来、同じ時期とされてきた韓国南部の漁隠(オウン)遺跡の土器など他地域の出土品とも年代が一致した。
 日本列島の住人が本格的に水田稲作を始めた時期の土器は、今回の古い数値が出た夜臼2式よりさらに1様式古い夜臼1式とされている。このため研究グループでは「弥生時代の始まり(=夜臼1式の出現)は紀元前10世紀までさかのぼらせる可能性も含めて考えるべきだ」と結論づけた。
 調査をした同博物館考古学研究部の春成秀爾教授は「弥生の始まりがとんでもなく古くなる。日本列島で稲作が始まった歴史的背景が全く違ってくる。従来、中国の戦国時代の混乱で生まれた難民が朝鮮半島から稲作を持ち込んだと理解してきたが、その時期が戦国ではなく、西周~春秋時代になってしまう。金属器流入の状況も考え直さなければならなくなった」と、日本列島が稲作を本格的に受け入れ、劇的に発展した弥生時代前半の歴史像を東アジア規模で見直す必要性を強調した。

以下 2003年5月19日の読売新聞より再現

弥生時代の始まりがこれまでの定説を約500年さかのぼり、紀元前10世紀ごろになる可能性が高まったとする研究成果を、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、宮地正人館長)が19日、発表した。
 九州北部で出土した弥生時代早期から前期にかけての土器などの年代を、放射性炭素(C14)年代で測定した結果、明らかになった。水田稲作の開始も約500年さかのぼることになり、日本の古代史を根底から覆しかねない成果。教科書の書き換えに発展することも予想され、学界は縄文時代から弥生時代を経て古墳時代に至るまでの年代観を再検討する必要に迫られることになった。
 今村峯雄教授(歴史資料科学)を中心とする同博物館の研究グループが、九州各地を中心に朝鮮半島南部の遺跡計12か所から出土した縄文後期から弥生時代中期にかけての土器32点を抽出。それぞれの土器に付着していたススなどをAMS法(加速器質量分析法)と呼ばれる最新のC14年代測定を行い、「暦年較正(れきねんこうせい)」によって実年代を割り出した。その結果、弥生時代早期後半から前期初頭に位置づけられている夜臼(ゆうす)ニ式と板付(いたづけ)イチ式の土器11点のうち10点の年代が紀元前800年を前後する年代に集中した。
 また、この土器に前後する時代のものとされる朝鮮半島南部の突帯文土器期と松菊里(しょうきくり)期の土器も同様の年代を示し、縄文晩期や弥生中期の土器についても矛盾しない年代が得られた。
 こうした成果から、同博物館では、弥生時代早期後半から前期初頭は紀元前9―8世紀ごろで、日本列島で最初に水田稲作が始まった弥生時代早期前半(夜臼イチ式)は「紀元前10世紀までさかのぼる可能性がある」と結論付けた。
 これまで弥生時代は、紀元前5―4世紀ごろ、中国の戦国時代の混乱に伴って、大陸や朝鮮半島から多数の渡来人が稲作技術を携えて日本列島に渡って来た結果、始まったと一般には説明されてきた。しかし、今回の成果を踏まえ、同博物館の春成秀爾教授(考古学)は「弥生時代の始まりを考えるには、殷(商)が滅亡して、西周が成立するころ(紀元前1027年ごろ)の時代背景を検討しなければならなくなった。クニの成立に至る弥生文化の展開がこれまでの常識よりは時間をかけて進んだと言える」と指摘した。
 しかし、新たな矛盾も生じるため、学界からは反論も上がっており、大きな議論に発展するのは必至だ。

■“るいネット”でもこれを受けて
『500年早まる弥生時代?』  [5]『500年早まったら何が問題なのか?』 [6] などの問題提起がされているが、その後の追求は頓挫している…
⇒岡さんの前記事も踏まえて追求再開していきましょう

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