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2009年03月31日

マサイ族の性について

masai.jpg
 
「世界の現在の性意識」シリーズ、中国、スペイン、フィンランド、ギリシャと見てきましたが、今回はアフリカの狩猟部族【マサイ族】についてお送りします。 

マサイ族の性について垣間見ることができる記事をご紹介します。
日本人女性(海外旅行の添乗員)でマサイ族と結婚した方が「私の夫はマサイ戦士」という本を書かれており、その本について「匠研究室の気ままなブック・レビュー」で匠さんが紹介している書評からの引用です。
 
先ずはいつものように応援よろしくお願いします。
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※注:『』内が本の記述、括弧なしが匠さんの書評です。

(以下引用)

『もともと私には、一夫多妻制に対する偏見はありませんでした。ただ、第二夫人になるということもぴんとこなかったし、その意味がよく分からなかったのも事実です。
 しかし、彼女(第一夫人)の言葉から「一夫多妻制は家族が増えること、だから嬉しい」といったマサイの人々の素朴で純粋な広い心が読み取れ、一瞬で、その制度の意味を理解することができたのです。ひとりの尊敬する男性を複数の女性が支えていく。そんな家族の姿は素晴らしく、ごく自然の形に思えました。
 しかも彼女は、「尊敬する夫が選んだ人なら間違いない」と自信を持って、日本人である私を第二夫人として認めてくれるのです。P114』

 (中略)

 どんな結婚にも、それを継続する上での困難はある。
2人で困難をのりこえるのは、どの結婚でも同じだろう。
本書を読むかぎり、2人はとてもよく協力しあっている。
ところで、男女関係といえば、ゲスな勘ぐりが働く。

『 西洋人のように濃厚なセックスを楽しみたいわけではないのですが、少なくともお互いが満足できる時間にしたい。セックスは愛情を確認し合う行為のはずなのに、マサイにとってのセックスには、その要素がありません。そもそもスキンシップのないマサイの愛情表現からすれば、当然のことかも知れません。
 日常的なことであれば、私もまだ文化の違いとして受け止めることもできますが、セックスは重要な夫婦生活の一部と思っていただけに、マサイの文化だからと諦めたくはない。ジャクソンが自分勝手な人ならまだ責められますが、性文化の違いから起きるすれ違いだけに、どう説明していいのか悩んでしまいました。P158


 初めての夜から1年9ヶ月をかけて、身体を触り合うスキンシップはコミュニケーションとして大切だということを訴え続け、何とかジャクソンも理解してくれるようになったのです。
 おそらく人前で抱擁することは一生ないでしょうし、期待もしていないのですが、家の中では私が抱擁しても大丈夫になるまで進歩しました。しかし、スキンシップはいまだ慣れないようで、私の期待に応えるため、触る努力はしてくれるのですが、決して楽しいとは思っていないのです。
 ある時、ぎこちないながらも彼の手が私の下半身にまで伸びた時、思い切って私も彼の股間に手を伸ばしてみたことがありました。するとびくっと腰が引けてしまったのです。そればかりか完全に萎えてしまったのです。これはショックでした。
 マサイの中では女性に股間を触らせること、見せることはありえないらしいのです。私の行為が完全否定されたようにも思え、それからはむやみに触ることが怖くてできなくなってしまいました。P206』
 

 我が国において、いまやセックスの意味は、子供を作ることではない。
セックスは2人の関係を深めるためであり、
快楽のためであり、楽しみのためである。
だから、スキンシップに充分に時間をかけ、互いに性的な満足をえることが、
夫婦にとってかけがえのないことだ、と考えている。

 しかし、結婚とは生活である。
生活である以上、生きることが優先する。
生きることとは、働くことであり、食べることである。
生活にセックスも含まれはするが、セックスの重要度は必ずしも上位にはない。
にもかかわらず、生活においてセックスを重要視することは、そのツケも返ってくる。

 筆者は、マサイの淡泊なセックスと、西洋人の濃厚な愛情表現とをくらべて、次のように言っている。

『 男女関係の西洋化はジェラシーの西洋化に繋がる。P154』 

 砂漠のように生きることが過酷な場所では、男性が少なくなるので1夫多妻もありうる。
そこでは近代人とは別の価値観が支配している。
1対1の男女関係を、当たり前だとする文化に住んでいると、
ジェラシーの西洋化に襲われても、それに気づかない。
本書を読むと、近代の意味を考えさせられる。

  生きることが厳しい社会では、濃厚なセックスを楽しむことなどできない。
近代という豊かな社会になってはじめて、人間は濃厚なセックスを楽しめるようになった。
しかし、同時にそれは、独占欲という嫉妬心を生むという。
筆者の書いてくれたことが、我々の日常を見なおす良い機会になった。
(2007.12.25)


 
 

マサイ族は牛を中心とした遊牧部族ですが、最近は観光ガイドなどの仕事をしている人も多いようです。
現在もスキンシップの習慣がなく、セックスに性充足、解脱という要素もなく、マサイ族のセックスは生殖・子孫を作るとことに特化しているようです。

男女の性充足は人類にとって根底的な位置にありますが、恐らくマサイ族ではその性充足を封印せざるを得ない外圧状況(生きて行くのに必死)だったのだろうと思います。
マサイ戦士が本来持ち得ない嫉妬心を持つようになっていったというのは非常に興味深く、集団と切り離された男女関係、個人的な性充足追及が集団規範を壊していく過程の一つであり、市場社会の浸透がそのベースにあるのではないかと感じます。

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comments

性のあり方にはいろいろありますね。
驚きました。

大人になる儀式に割礼があるといわれていますが、性充足は封鎖しているのですかね?

  • kou
  • 2009年04月01日 01:31

性は男女の最も深い部分に横たわる可能性であり、問題でもあるのですね。

私達は、自分達がもつ意識を「正」とし、それと照らして他はどうか、という比較の仕方をしがちです。しかし、それは間違いなのでしょう。

マサイの戦士達がスキンシップを捨てたのは、彼らにとって、その必要があったということですよね。kouさんが書かれている割礼の儀式も、必要であるがために行われている。
スキンシップは良いことで、それがないのは異常だ、などという価値判断ではなく「なんでそうなったのか?」が重要なのだと思いました。

で、マサイの戦士達がスキンシップしないのはなぜなのでしょう?もしかしたら、最初からそんなものはなかったのか?
続編を期待します。

  • hayabusa
  • 2009年04月01日 21:02

極限時代の人類は、性充足を拠り所にして生き抜いてきたのに、それよりはマシな状況にあると思われるマサイ族が性充足を封印するのには、何らかの観念的理由があるのでは?
スキンシップの習慣がないといっても、母子のスキンシップはあるはずですし、どうしてそうなったのか?が知りたいです。

  • まりも☆
  • 2009年04月02日 20:12

kouさん、hayabusaさん、まりも☆さん、コメントありがとうございます。

私も最も「?」と思ったのが、男女のスキンシップがないと言う点です。
男女のスキンシップを封印し、集団規範として徹底せざるを得ない外圧状況とはどのようなものだったのか。

マサイ族は男女とも割礼をしますが、男性は勇士の証として12~3歳で行ないますが、女性は性関係を続けた後、婚姻直前に割礼をするようです。
このあたりをヒントに、次回継続追求して行きたいと思います。

  • sinkawa
  • 2009年04月04日 21:22

>マサイの中では女性に股間を触らせること、見せることはありえないらしいのです。

マサイはどのようにセックスを覚えるのでしょうか?

  • R
  • 2009年04月07日 22:35

マサイと付き合っていました。
彼は若いころ 年上の女性にセックスを強要され、セックスを覚えたと言っていました。最初はわからなかったけど快楽を覚えるようになったと言っていました。町で働いている若い男性マサイは私たちと同じようにセックスを快楽としてしていると思います。抱擁もキスも、下半身に触れるもありです。

  • マサイの恋人
  • 2010年08月14日 18:09
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