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ドイツ人の気質とは?(2) ~その共同体気質の根源は?~

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前回に引き続き、ドイツ について見ていきたいと思います。
前回 [1]は、ドイツ人とフランス人の相違性(または、ドイツ人と日本人の近似性)から、
ドイツ人に見られる共同体気質の背景には、
 ・国家体制:中央集権vs地方分権
 ・キリスト教(ローマカトリックの浸透度):カトリックvsプロテスタント
があることに着目しました。
今回は、ドイツ人の祖先=ゲルマン人 について探索しながら、現代ドイツ人に残る共同体気質の根源について考えていきたいと思います。
↓↓まず、いつものをヨロシク。
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ありがとうございます。


■ドイツ人の祖先=ゲルマン人の気質とは?
ドイツ人はゲルマン人の末裔と言われますが、ゲルマン人って?
Wikipedia「ゲルマン人」 [3]
世界各地域史・ヨーロッパ史「ゲルマン民族の暮らし」 [4]
歴史を遡りゲルマン人について見てみると、どうやら彼らの気質の根源には母系的な価値観があるようです。
1.ゲルマン神話より
古代ゲルマン人の母系的価値観については、彼らの神話からも伺えます。彼らは、太陽を女神としています。これは、太陽を男神とするギリシャ神話と対照的です。

太陽神といえばギリシア神話やエジプト神話に登場する男神を想像されるだろう。しかし、ブライアン・ブランストンを始めとする神話学者の中には、太陽神は男神よりも女神のほうが主流であると論ずる向きがある。男神がギリシア神話やエジプト神話などの著名な神話に登場することが原因となり、太陽神=男神という解釈が生まれたというのである。[太陽=男=光]と[月=女=闇]の二元性は、オルペウス教やグノーシス主義の思想を源とするヨーロッパ地方の説話に少なからず見受けられるが、例外として、太陽が女神で月が男神となっているゲルマン神話の存在は注目に値するものである。また、日本神話の天照大神も太陽神、女神であり、対をなす月神に月読命を置いている。

(以上、Wikipedia「太陽神」 [5]より)
2.古ヨーロッパ文明より
さらに、古代ゲルマン人の母系的価値観は、古ヨーロッパの母系制社会に遡れるようです。

古ヨーロッパ文明
 紀元前7000年紀ごろ、小麦や大麦をはじめとする作物をつくり、牛や豚、羊、山羊などを飼育する人々の集落が、南東ヨーロッパに出現し、アナトリア、メソポタミア、シリア=パレスティナ、エジプトにおける類似した文化的発展に平行しながら、独自の土着文化を展開していた。
(中略)
古ヨーロッパ文明の遺産
 太女神を至高の神性とする古ヨーロッパの母系制社会は、その後、まったく別のシンボルや価値観から成り立つ父系制のインド=ヨーロッパ語族の世界に取って代わられる。古ヨーロッパにおいては発展しなかった男性原理が、いわば焼きつけられたのである。こうして全く相異なる二つの神話的世界像が向き合うことになり、やがて男性的なるものを示す一群の象徴が古ヨーロッパの神像に取って代わっていった。

(以上、サイトBarbaroi!「反・ギリシア神話>古ヨーロッパの神々」 [6]より。トップの写真:オーストリアで発掘された古ヨーロッパ文明の「ヴィーナス像」はこちらよりお借りしました。)
3.ゲルマン人の婚姻制度より
また、タキトゥスの「ゲルマーニア」によれば、紀元前後頃のゲルマン人の婚姻制度には、(元々の母系制から)父系制に転換した後も、母系制の名残が色濃く残っていたようです。

婚姻様式は、嫁取婚で、既に父系制に転換している。しかし、嫁方への婚資の内容、母方の集団における子供(甥)の地位等に、母系制の名残が色濃く残っている。
>■婚嫁
>持参品は妻が夫に斉すのではなく、かえって夫が妻に贈るのである。この時、〔妻の〕両親、近親が立ち会ってそれを検する。贈物は、女のもっとも喜びとするものを選ぶのでも、また新婦の髪を飾るべきものでもなく、単に幾頭かの牛、及び轡をはめられた一頭の馬、それに一口(ひとふり)のフラメア(短槍)と剣とを添えたひとつの盾である。この贈物に対し妻が迎えられ、妻はそれに対して、またみずから、武器のうちのなにか一つを夫に斉す。これが最大の結鎖であり、これが結婚の神聖な秘密であり、これが婚姻の守護神たちであると彼らは考えるのである。
婚資の検分が、妻方の両親・近親で行われ、その婚資も家畜と馬と武器である事から、妻方から勇士(同類闘争の戦士)であることが審査されている。

(以上、るいネット「父系制への転換と母系制の残存、ゲルマーニア」 [7]より)
4.ゲルマン人の名前の付け方より
また、デーン人(北方ゲルマン人)の子供の名前の付け方からも古代ゲルマン人の社会が母系制であったことの一端が伺えます。

デンマークの中心民族のデーン人は、北方ゲルマン人ということで、ノルウェー、スウェーデンやドイツ北部と共通性を持ち、その言語もドイツ語やオランダ語などと相当共通性を持つのだという。ニールセンという名前だが、英語ではニルソンとなり、アンデルセンがアンダーソンとなるのと同じで、ニルスの息子という意味の姓だという。これは、古代ゲルマン人の母系社会(多夫一婦制)の遺産とも言われている。

(以上、「日々雑録 または 魔法の竪琴」 [8]より)
このように、ゲルマン人の社会は、元々は母系制社会(共同体社会)に由来し、半農半牧の移動部族として父系制に転換した後も、母系的価値観(共同体気質)を残し続けていた ことが伺えます。
このように見ると、16世紀ドイツの宗教改革におけるプロテスタントの価値観(勤勉・倹約・集団主義)は、ゲルマン人の母系的価値観と重なってきます。
よって、現代ドイツ人に残る共同体気質の根源は、ゲルマン人の母系的価値観にある と言えそうです。
さらには、宗教改革(ローマカトリックからプロテスタントへの転換)とは、ローマカトリック気質(父系的・私権的価値観)から、ゲルマン気質(母系的・共同体的価値観)への転換(回帰)、としても捉えられるのではないでしょうか?
■では、ドイツで宗教改革(≒ゲルマン気質への回帰)が進んだのはなんで?
(1) ドイツの地理的条件
これは、ドイツの地理的条件によるものが大きいと考えられます。
大きく見ると、ヨーロッパはドナウ側を境に南(フランス、イタリア)と北(ドイツ)さらに北欧のエリアに分かれます。これらのエリアは、①気候の寒暖、②土地の良し悪し、③ローマからの距離の違いとして捉えられます。
南側は比較的温暖で土地もそこそこ肥え農業生産においても比較的有利であり、北側(ドイツ)は森林が多く土地が痩せていて農業生産の条件としては南に比べて過酷であったと考えられます。(北欧はもっと過酷だったことでしょう。)
(2) 地理的条件によるキリスト教布教の進行度の違い
キリスト教(カトリック)は、ローマ(南)から北・西・南へと拡大していきますが、その布教の進行度(時期)は北方ほど遅く、数百年オーダーで差が現れています。例えば、ドイツ地域では5世紀頃(フランクを統一したクロヴィス1世が496年にカトリックに改宗)、北欧地域では10~11世紀頃と、時期的な違いがあるようです。
これは、上記の地理的条件より、ローマから遠く比較的貧しい土地への布教は後回しにされたということではないかと考えられます。
よって、ヨーロッパ大陸の中で比較的ローマから遠く貧しいドイツの地理的条件は、ドイツ人にゲルマン気質が濃厚に残っている要因の一つと考えられます。(北欧諸国は、よりゲルマン気質が残っていると推測できます。北欧神話が比較的多く残っているのも、この地理的条件→布教時期の遅さが要因ではないでしょうか?)
(3) 国家体制とキリスト教布教の進行度の違い
また、上記の地理的条件と国家体制(中央集権or地方分権)には何か関係があると考えられますが、地方分権のドイツにおいては、国王よりも領主の力が強く、国王発のカトリックへの改宗は簡単には進まなかったと推測されます。
以上より、ドイツにおいては、地理的条件と残存するゲルマン気質により、宗教改革(ローマカトリックからプロテスタントへの転換)の実現基盤が揃っていたと言えるのではないかと考えられます。
以上よりまとめてみると、
【仮説】
・ヨーロッパは、ローマ発のキリスト教の普及により父系化が進んでいった。しかし、地理的に北方にあるドイツ(さらに北欧)は、キリスト教布教(父系化)の時期が比較的遅かった。その結果、ドイツ(さらには北欧)ではゲルマン気質(母系的共同体気質)が残り続けた。
・その結果、ドイツは、ローマカトリックが一定浸透した後(16世紀)に、宗教改革として、脱ローマカトリック=ゲルマン回帰を成し遂げた。そして、現在でもゲルマン人由来の共同体気質をヨーロッパの中でも比較的濃厚に残している。
(さらには、紀元前後からのヨーロッパの歴史とは、ローマvsゲルマンの攻防の歴史であったと言えるかもしれません。)
このように見ると、ドイツ人とフランス人の気質の違いの根源は、ゲルマン気質(母系)とローマカトリック気質(父系) 、また、ドイツ人と日本人の近似性の根源は、ゲルマン気質と縄文気質(共に母系制に由来)の共通性 と言えるのではないでしょうか。
読んでくれてありがとう。 😀

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