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女性ファッション雑誌が多様化したのはなんで?

Posted By mtup On 2009年6月16日 @ 11:00 PM In 未分類 | No Comments

 日本で発行されている女性ファッション雑誌って、何種類ぐらいあると思いますか?
数えてみると104有りました。 ファッション雑誌一覧 [1]
 一方で海外のファッション雑誌の種類は、ネットの洋雑誌屋さんで検索してみると35種類、同じタイトルで発行されている国が違うのを除外すると20数種類しか有りません(実際はもう少しあるのかもしれませんが)。 :roll: マガジンマート [2]
 この違いって何なの?ってことで、日本でファッション雑誌がこんなに多様化したのはなんでかを探って行きたいと思います。
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●日本の女性ファッション(雑誌)の歴史
ウィキペディア(Wikipedia) [4]より抜粋(一部追記)
1867年(慶応 3年)  アメリカ合衆国で『Harper’s BAZAAR』創刊。(日本では大政奉還の年)
1893年(明治26年)  アメリカ合衆国で『ヴォーグ』創刊。
1905年(明治38年) 『婦人画報』創刊。国木田独歩を初代編集長として創刊された、日本で最も歴史ある婦人総合誌。
1917年(大正6年) 『主婦の友』創刊
1920年(大正9年) 『婦人倶楽部』創刊
1936年(昭和11年) 宇野千代が日本初のファッション雑誌『スタイル』を創刊(講談社が2001年創刊した「style」は別物である)。また同じ年、『装苑』が創刊。当時は洋裁の専門誌としての性格が強かった。
1946年(昭和21年) 『主婦と生活』創刊
1947年(昭和22年) 『婦人生活』創刊
1958年(昭和33年) 『家庭画報』創刊。
 この頃までの婦人誌は、ファッション雑誌というより、高度成長期の専業主婦の大衆化も相まって、あるべき主婦像、家庭像のモデルを提示し続けてきた。
以下にElastic 女性ファッションの系統の歴史を探る [5]より、女性ファッション(雑誌)の傾向を抜粋引用し、補足としてその時の時代背景や女性たちの意識潮流を重ねてみて、考察していきたいと思います。 8)

■1960年代 カウンターカルチャー
 ’60年代のファッションは、若者達によるカウンターカルチャーの時代でした。カウンターカルチャーとは、主流の(体制的な)生き方に対抗する価値観や様式をもった文化のことです。さて、60年代の若い女性は何に対抗したのか。箱入り娘を想像すればわかりやすいと思います。肌を出さない、おっとり、おとなしい、控えめ、そんな良妻賢母みたいなイメージでしょうか。若者はその女性像を崩そうとするわけですね。女性たちのスカート丈はどんどん短くなり、ノースリーブを着たり髪も短くしたり活発にふるまったりして新しい女性像を作ろうとします。それと同時にどんどん性がオープンになっていきます。そして60年代後半のツィッギーによるミニスカートの大ブームで、この新しい女性像が徐々に形成されていくわけです。もしかしたら、この時に、肌を出すのは女性らしい格好でカワイイというイメージが確立されたのかもしれませんね。

 ’60年代、世の中は岩戸景気、いざなぎ景気と高度成長を経て、都市部への就職による人口流入が増え、1967年に恋愛結婚の割合が見合い結婚を上回り、自由恋愛が拡大していくことになった。
 ミニスカートブームは、自由恋愛市場の拡大を背景に女の男に対する挑発行為として広まっていったのではなかろうか。 :roll:

■1970年代 影響力の強い女性誌の創刊
 ’60年代の流れを引き継ぎながら、 ananとnonnoが創刊され、アンノン族として大旋風を巻き起こします。 ここにガーリッシュ系※が誕生します。 アンノン族のキャッチフレーズはディスカバードジャパン。日本各地をアクティブに練り歩きます。で、この時代にJJも創刊されます。アンアンの特集の神戸嬢のファッションというのをパクったものです。今でも神戸嬢のファッションはJJの核となるテーマですよね。ちなみにJJは「女性自身」の頭文字です。この頃のJJはギャルとは程遠く、ブランド好きな良家のお嬢様みたいな格好でした。このファッションをニュートラというわけです。
※ガーリッシュ系は一般的な女性が歩むと思われる道。 nonno、anan、CanCamとかなり影響力の強い雑誌が登場します。知名度の高い雑誌が多く、ファッション誌に強い興味を持たない、普通の女性もこれらの雑誌を手にする機会が多いので、普通系とも言えるかもしれません。キーワードは「モテ」。 とにかくモテるファッションと、恋愛のお話が大好きという感じです。

 ’70年代、一億総中流化という言葉が象徴するように日本から貧困が消滅し、ウーマンリブや男女平等など、女性の社会進出が増えていくことになる。同様に女性の大学への進学率も増え、自由恋愛市場も裾野を広げていくことになる。この層をターゲットにしたファッション雑誌が相次いで創刊され、80年代にかけての女子大生ブームに繋がっていきます。女子大生というブランドやお嬢様風のファッション=清楚、穢れを知らない処女性は、性幻想を男たちに抱かせ、性的商品価値を吊り上げることに一役かっていたのではないのでしょうか。 :x

■1980年代 アクティブさが加速する
 この時代はバブルの時代です。とにかくみんなアクティブでした。いろんな意味で。まずは竹の子族について触れておかなければならないでしょう。とにかく奇抜で独特のストリートファッションだったので、ディスコを追い出され、原宿に流れてきて踊っていたわけです。 ここにモテ(他人の目)をあまり考慮せず、独特な装飾性を重視するお洒落っ子系が誕生するわけです。 今のお洒落っ子系と竹の子族とは全然ファッションが違いますが、本質は似たようなものですし、原宿の活性化に竹の子族が一役買ったのは間違いないでしょう。ちなみに今でいうところのユルカジ(エスニック系)なんかも、この頃から登場しています。
 一方、普通のガーリッシュ系等はどうなっていくかというと、ディスコで踊っているわけです。いわゆるボディコンという格好をして。ボディコンは体のラインを強調した、限りなく肌を露出したファッションですよね。こちらは他人の目を意識しまくりです。

 バブルの時代、性幻想による性的商品価値は暴騰し、また性に対する主導権は女が握っていることも相まって、女の立場が強くなります。男たちはアッシー君、メッシー君、ミツグ君と成り下がり、ボディコンという戦闘服は男たちのみならず、同じような女たちの目を意識したより露出度の高さの競い合いにエスカレートしていったように感じます。しかし、そのような剥き出しの性が性幻想を崩すことになり、普通の男はそのような自我女から離れて行くことになったのです。 :wink:

■1990年代 バブル崩壊
 元気なコギャル バブルが崩壊して日本に元気がなくなってしまいました。こんな時に元気なのは若者くらいです。で、元気一杯に暴れてくれたのがコギャルです。 時代の最先端を行く、ギャル系の誕生です。 LAカジュアル好みの女の子たちのファションが、女子高生の間で大ブレーク。肌が小麦色(まさにLA)とか、ミニスカ等の肌を露出したファッションとかね。だからギャル系の基本はLAファッションなんです。ここは頭に入れておいてくださいね。で、バブルが崩壊しても、バブルの頃から続く日本人のブランド好きは止まりません。ブランドブームから、「シャネラー」とかそんな言葉も登場します。そんなブランド好きファッションは芸能人に飛び火し、JJ読者等は芸能人のファッションの真似をし始めます。もちろんコギャル達も芸能人の真似をします。カリスマ安室奈美恵さんの。アムラーとして一世を風靡しましたよね。ここでJJのお嬢様系とギャル系が、芸能人の真似という点で歩み寄っている点に注目です。
 一方、芸能人とかにあまリ興味のない普通な人達、すなわちガーリッシュ系はどこにいったのでしょうか。彼女たちはニュートラの流れをくみ、ボディコンから一転。割と地味な格好になりました。それでも女らしさは求めます。どうやって表現したかと言うと、フリルやリボンのワンピとかです。なんというか可愛らしさや可憐さで女らしさを出そうとしたのでしょう。これはまさに今のCanCamのエビちゃん系(かわいい系)を彷彿とさせる格好です。それがもう少しカジュアルよりになったのが、今のnonnoのラブリーベーシックという感じでしょうか。こういうかわいい系の人達のファッションを「プリコン」といいます。プリィティコンサバティブの略です。「プリ」はキャンキャンお得意のフレーズですよね。
 お洒落っ子系はどうなったのって?おっと。危ない危ない。忘れるところでした。90年代は実はストリートファションが花開いた年代でもあります。アメカジを中心にヒップホップ系、グランジ、スポカジ、スケーターとか、渋谷を中心として多様化していきます。いわゆる「渋カジ」というやつがその始まりですね。竹の子族は渋カジに吸収され、ストリートファッションとして多様化していきます。

 バブル崩壊でボディコン(≒女子大生ブーム)が衰退しつつある中、女子高生がそれに代わるように、ブームになりコギャルブームが起こる。ギャル誌といえば、egg(95年創刊)、Cawaii!!(96年創刊)、Popteen(80年創刊)の3誌が有名。ギャル雑誌は90年代に多数創刊された。
 茶髪、制服、ルーズソックスにローファーという学校生活の服装が女子高生というブランドの象徴として脚光を浴びた。高校を卒業したにもかかわらず、制服を着て町に繰り出す「なんちゃってコギャル」が存在したように『仲間』という意識がより強くなっていったのである。その後、彼女たちはコギャル→ヤマンバ→マンバ→汚ギャルへと分化し、高校を卒業するとオネギャル(お姉系)へと変化し、2000年代にはアゲ嬢や姫ロリへと変化していった。

■2000年代~最近まで
 浜崎あゆみというギャル系のカリスマの時代に突入します。アムラーからあゆの真似にシフトしてくるわけです。あゆはブランド好きですよね?同じようにブランド好きなJJ読者もあゆのカリスマ性に魅かれ、あゆの真似をするようになっていくわけです。JJ読者もあゆを真似し、ギャルもあゆの真似をする。ここにJJとギャル系が融合します。いわゆるお姉系(お姉ギャル)というやつです。そしてあゆの人気がなくなってくると、あゆの真似を次第に止めるようになってきます。次は誰の真似をするのでしょうか?ギャルはLAのファッションが基本なんです。それにあゆに影響されたブランド好きという要素が加わります。すると、必然的にLAのブランド好きな芸能人(セレブ)の真似が始まるわけです。すなわち、セレブファッションというやつです。現在セレブブームですよね。
 ガーリッシュ系はというと、プリコンの流れが今でも続いていますよね。しかしバブルの影響でボディコンみたいに過剰に肌は露出しませんが、時代と共に徐々に解放された性と共に、欲望も出すようなっていきます。女性は控えめで欲を抑えなくてはならない(良妻賢母)という女性像を崩したい、不景気の煽りを受けたくない。極端に言うと、セレブみたいに私もお金持ちになりたいという欲望が、前面に押し出されていますよね。実際、男の私が女性誌を読むと、欲望が露骨に出ているなぁ~と感じる事が多々あります。
 この欲望を実現するために、能力の高い女性たちは男性と同じ土俵に立ち、がんがん能力を生かし稼いでいきます。でも、能力の高い女性以外にはまだまだ厳しいのが現状です。そうなると金持ちになるには玉の輿しかありません。不況による就職難も手伝って、ますますモテの必要性が出てきます。こうしてモテ競争が激化していくわけです。これが今のモテブームだと私は思います。このモテブームに変化が現われるのは、やっぱり景気次第でしょうね。
 お洒落っ子系は90年代のストリートファッションが今でも続いています。お洒落っ子は90年代後半に起こった裏原ブームの時が最盛期でしょうか。最近ちょっと元気がありません。最盛期に比べると、お洒落っ子系以外にかなりの人が流れていった気がします。それでもかなりのお洒落っ子が、まだまだいますけどね。そして音楽の趣向の多様化とともに、お洒落っ子のファッションも多様化してきています。
 他に特筆しておく点は、ストリートの一派として10代・原宿を中心に、ゴスロリ人気が出てきた事です。ヴィジュアル系ブームは衰退しつつあるんですが、その流れを受けるゴスロリファッションの人気は止まりません。NANA人気も手伝い、しばらくは勢力を拡大し続けるでしょうね。彼女たちは、みんな横並びの日本人の没個性ファッションに対抗しようとしているのか、とても自己主張が強い個性的なファッションです。どこまで勢力を伸ばすのか今後も注目です。

 1997年に男女雇用機会均等法が改正され、女性の社会進出が話題となったが、バブル崩壊や企業側の受け入れ態勢の問題からキャリアとして成功したのは、ほんの一握りだった。1998年の 厚生白書で『新・専業主婦志向』 [6]が取り上げられ、’70年代の「男は仕事、女は家事」から、’80年代の「男は仕事、女は仕事と家事」を経て、’90年代の「男は仕事と家事、女は仕事と趣味(的仕事)」と性別役割分業の意識が台頭し、2009年版男女共同参画白書では20歳代の女性の4割が「男は仕事、女は家庭」という意識に回帰してきている。
 ’70年代に創刊されたananの受け皿的雑誌(卒業後の雑誌)としてクロワッサンが77年3月創刊。この年、集英社からMORE(nonnoの受け皿)も創刊。女性誌出世魚の先駆けである。他にもJJ→CLASSY.(84年)→VERY(95年)→STORY(02年)の光文社の出世魚、CanCam→AneCan→oggi→Domani→Preciousの小学館出世魚、nonno→MORE→BAILA→LEE、marisol→eclatの集英社出世魚があるようにファッション雑誌もターゲットを絞った分化がされていくことになった。
 さらに市場は低年齢化により拡大し、ローティーン誌が創刊される。97年にnicola、01年にラブベリー、 03年にHana★Chuが創刊された。

 バブル崩壊後は、女性のファッションも目指す方向を見失い、分散拡散による可能性を模索していた時代と言えるのではないだろうか。またバブル崩壊→大企業の倒産、リストラなど、男たちの力の基盤も衰弱し、もはや女忌避状態。仲間収束をベースに必然的に女性ファッションも異性よりも同姓を意識した方向へ舵を切り、より細分化されていった結果がファッション雑誌の多様化に繋がっているのではなかろうか。
 しかし、この多様化は次代の収束先を模索している一時的なものとも思われる。休刊、廃刊になる雑誌も多く、「CanCam」「JJ」が凋落 女性誌売れなくなった理由 [7]に見られるような淘汰は既に始まっているのである。 8)


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[4] ウィキペディア(Wikipedia): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E9%9B%91%E8%AA%8C

[5] Elastic 女性ファッションの系統の歴史を探る: http://taf5686.269g.net/article/870518.html

[6] 1998年の 厚生白書で『新・専業主婦志向』: http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199801/b0013.html

[7] 「CanCam」「JJ」が凋落 女性誌売れなくなった理由: http://www.j-cast.com/2009/05/30042033.html

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