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中山太郎の「日本婚姻史」から~団体婚~☆1☆団体婚って?

Posted By mori-ma On 2009年7月14日 @ 9:51 PM In E 8 日本 | 8 Comments

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 みなさん、こんばんは。すっかり暑い夏になってきましたね
 さて、中山太郎の「日本婚姻史」から、 第一章 共同婚 をお届けしてきましたが、今回から 第二章 団体婚 の紹介に突入します
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※上の絵の後方にあるのは浅間山です。何でこの絵が 理由は後半を読んでいただければ分かります


 まずは、団体婚とは何か?なぜそれを追究するのか?筆者の中山太郎の想いが書かれている冒頭部分をご紹介します。

第二章 団体婚
 我国の婚姻史上に団体婚(部落の男子全体が、部落の女子全体と結婚すること)が存したか否か、この考察は共同婚制の存否と同じように、かなり困難なる問題たるを失わぬのである。しかも最近の婚姻学者はほとんど言い合わせたように、団体婚というがごとき婚制は、全世界のいずれの社会においてもかつて存在したことを発見せぬとて否定している。
 もちろん、これらの否定説にはそれぞれ相当の理由が提供されているけれども、しかしながら私の信じているところを簡単に言えば、婚姻の進化は共同婚から一躍して特定婚―すなわち一妻多夫なり、一夫多妻なり、または一夫一妻なりに到達したものではなくして、必ずやその中間を繋ぐべき婚制が存在したに相違ないと考えている。
 換言すれば群衆婚ともいうべき共同婚から、個別婚ともいうべき特定婚に推移する過渡期に行われたものが、ここに言う団体婚であらねばならぬと考えるのである。

 なんと、昭和の初めのこの頃から、学者というのは旧観念に囚われて事実をまったく見ようとしない困った存在だったのです 筆者の考えを裏付ける事例が、次に続きます。

 もし一部の学者が主張するがごとく、団体婚なるものが全く社会に存在せぬものであったとすれば、本邦の土佐国高岡郡津野山郷北川村の太古味部落に行われた婚制のごときは、いかなる名称を以ってこれを分類せんとするのか、寡聞なる私には団体婚の名称を措いては、他に適当なる術語を発見するのに苦しむのである。
土佐国高岡郡津野山郷北川村の太古味部落
 すなわち同部落の村民は、江戸時代の末葉まで、世間で言うところの結婚なるものを知らず、ただ少壮の男子が夜間婦女のある家に泊まりに往くのみで、元より一定したる夫婦というものはかつてなく、今夜と明夜の夫は異なり、前晩と翌晩の妻は替るという有様であった。
 それ故に女子を持てる家には相続人あるも、男子を持てる家には相続人とてはなく、一部落二十余戸の民家はことごとく親戚なるか、他人なるか殆ど区別もつかぬような生活を続けて来たのである。
 それを文久年間に北川村の庄屋吉村寅太郎が村民を諭し、一時に十九組の夫婦をつくり婚姻式を挙げさせたということである。

 江戸時代の末期まで、結婚or夫婦という制度・観念を知らない村落共同体が、実際に存在していたのです 北川村の庄屋がどうやって諭したのかは謎ですが、同時に19組の結婚式とは、さぞかし当事者たちは、意味も分らずびっくりしたでしょうね。
 さらに、特殊な外圧状況から生まれた婚姻制度もあります。

上野国吾妻郡嬬恋村大字鎌原
 天明三年の浅間山の噴火に埋没して村民の大半が死んでから、生き残っていた男女が誰彼とは言わず縁を結んで復興のために苦しんだ。それ以来婚姻は殆ど六十戸の村中のみで行われ、互いに親戚でない家は一軒もない。
 年上の男は総て何々兄と言い、ずっと年の違った人は総て何々おんじいと呼びかけるそうである。
 かかる類例も今のうちに各地に亘り克明に詮索したら、まだ何程でも数えることができようと思うが、私にはかくのごとき婚姻制を呼ぶには団体婚の名を以ってするのが、最も相応したものであると考えられてならぬのである。それ故に私が学会では否定されているけれども、敢えて団体婚を説く所以なのである。
 しかしかく信じかく考えてはいるものの、我国のごとく古代の文献にはなはだ乏しい国柄にあっては、文献に徴して団体婚の存在を真正面から証明することは頗る困難である。加えて共同婚と団体婚とは時代において前後の別があり、地域において広狭の差があり、人員において多寡の違いがあるけれども、この両者を厳然と区別する資料は極めて貧しいのである。従って、ここには土俗なり伝承なりを拾い集めて、側面または裏面から団体婚の存在したことを証拠立てるより外に致し方がないのである。
 されば私の記述もことごとく靴を隔てて痒きを掻くがごときものに終わるかも知れぬが、老勇を鼓し敢えて筆を運ぶこととした。幸いに識者の高教を仰ぐことができれば本懐である。

 火山の噴火で畑や田んぼも埋まってしまって作物が作れない悲惨な状態。何よりも、共同体の仲間の大半を失うということは、人々の活力を奪う大事件だったに違いありません。それを乗り越えるために(新たな労働力としての子供を生産するという意味でも)、“生き残っていた男女が誰彼とは言わず縁を結んで”、男女解脱共認を活力源にしながら、復興に向かっていったのだと思います。
 まさに、外圧状況によって集団内の婚姻のあり方も変わるんです。
 しかし、文献資料がないからと言って、そんな婚姻制度はあり得ないと主張する学者たち。資料はないけれど、分かるだけの事実を集めて仮説を立てて考えているのが中山太郎氏。どっちがみんなの役に立つ認識を生み出せるかは一目瞭然ですね :D
 次回からも、色んな事例をお伝えしたいと思います


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