U-29,いわゆる29歳以下の若い世代で、子育て観や環境にも変化が見られる、という新聞記事を発見しました!
かつては共同体の中で行われていた子育ても現代は密室家庭で行われて様々な問題を起こしている、という話を良く聞きますが、その意識にも変化が現れているようです。
婚姻や共同体と言った視点で最新の意識潮流を探る上でも非常に興味深い記事なので、ちょっと紹介します!
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日本経済新聞 2009.06.20 より
■横丁のよしみで子育て
U29以下世のの子育てスタイルは、親と子を軸に祖父母など親族が加わるかつての核家族とはちょっと違う。
大切なのは「仲間」。
独身時代や出産以前から付き合いがある友達に、日常の世話やしつけで自分の子供のようにかわいがってもらう。子育てそのものが仲間内のイベントなのだ。
狭い意味での「家族」の壁を易々と乗り越える親密さは日本の庶民が古くから馴染む「横町文化にも通じる。
(中略)
子供を預かることには重い責任が伴う。
それはもちろん、U-29世代でも同じだ。それでも協力を惜しまない未婚男女には、子育てを体験し”予習”したいといういう意識が見える。
平均初婚年齢は上昇の一途をたどるが、ここ10年の間に早婚派も出てきた。子育てで協力するという意外な現象の背景には、同じ世代に少しの既婚、子持ち族と多くの未婚者が混在するという絶妙のバランスがある。
(中略)
「遠くの親戚より近くの他人」とか言って、ご近所の引っ越しや出産は一大イベントだった。住人の家族構成は様々でも、町内で大家族を構成しているかのような時代があった。
明治以前の情緒を残す下町でも、いまやそんな風情は薄れかかっている。
Uー29世代も、疑似家族を求めているようにみえる。結びつきの源は友情だ。子育てには楽しみも苦労も伴うけれど、両方を分かち合おうとしているのなら、一昔前にはやった「都合の良い友情」とはだいぶ異なる。
たいていは楽しみだけを共有したくなるもの。だから、面倒ごとからも逃げられなくなる地縁や親せきづきあいが廃れてきたんじゃなかったか。
地縁や親族から自由になった子育てを目の当たりにすると、一抹の寂しさがある。子どもは貴いのみならず、貴重なものになったのかという驚きもある。でも、たくましいとも思う。
親にも行政にもサービス業者にも頼らず、助け合う仕組みを自主的に作ろうとする。U-29世代に備わる、自立心が旺盛な一面を表しているみたいだ。
(後略)
以上引用終わり
他にもこの記事の中では例として、夫の不在が多い女性(28歳)が子供を友人の独身男性に預けたり、シングルマザー(27歳)が友人みんなで海に行くと言った時の事、母親がサーフィンを楽しんでいる時に男友達が6歳の長男の面倒を見てくれている。そして預かる側の男友達ももそれを楽しみにしている、といった話が紹介されています。
「パパは出来るだけ沢山いた方が良い」と、出来るだけ多くの大人に触れる機会を作ってあげたいという想いがあるようです。
最も興味深いのは、男女や家族と言った、かつては厳然とあった境界線が現在とても薄くなってきていると言う事です。
親や親戚ではなく友人、それも独身男性に預ける。
子供が出来ても学生からの友達づきあいが続いており、その仲間関係に「子育て」も巻き込んでゆく意識。
子供の預け先は、以前は親や親戚が普通でした。
それが変化し始めている。それは何故なのか?
家庭や子育てに関する意識の変化を、時代潮流と照らし合わせながら考えてみましょう。
一昔前までは、子供を預けるのはまずは親か親戚でした。
子育て経験のない独員男性に預けるなど、不安もあったし世間的にもちょっと・・・。なにより気兼ねする。
預かる側も預かる側で、子供は可愛いけど預かるとなるとそれぞれの家庭の子育て方針やら何やらでやりにくいな~ みたいな意識もあったと思います。
その背後にあるのは
「家庭の聖域化」
子供は「夫婦」や「家庭」の所有物であり、そこは絶対不可侵であると言う固定観念に預ける側も預かる側もどっぷり浸っていた。
むしろ親や親戚といった「聖域」に近い人たちに預ける方が気兼ねしなくて良い。
むろん、家庭が聖域化などしていなかった共同体時代には、それこそ子供はみんなの子であり、こんな事考えなかったはずです。
では何故、いつから家庭が聖域化して来たのか。
これには戦後の地域共同体の崩壊と、結果としてのバラバラの個人による私権収束が背後にあります。
この新聞記事の事例は、この「聖域化」が崩れ始めている、という事の表れではないでしょうか。
しかし、かつて子育てを支えていた地域共同体は既にありません。
ここで出てくる次の収束先が「仲間」です。
今やそこしか頼れる者がいないという事実もあるし、若者の仲間意識の強さもそれを手伝っているのだと思います。
聖域化の崩壊と仲間収束。
この新聞記事の話は、子育てという場でもそうした意識の変化が顕著に見られるようになった一つの事例なのだと思います。