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言葉に宿るもの

古来、日本においては、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされてきました。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられてきました。
それゆえに、わが国では「言挙(ことあ)げ」をしないこと、すなわち、言葉に出して言い立てず、「以心伝心」を美徳とする伝統が根付いてきました。
それでは、言葉そのものに宿るものとは何なのか?
今回は大和言葉を通じて、その正体に迫りたいと思います。
国際派日本人養成講座 [1]:大和言葉の世界観》を引用させて頂きました。
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■9.和歌は日本人の固有な韻文に対する自負と誇り■

大和言葉で歌われるのが、和歌、すなわち「日本の歌」である。
和歌は神様を褒め称えたり、恋人に思いを伝える時に使われる特別な形式であった。
「いのち」という言葉に根源的な生命力を感じたり、また「恋」という言葉に、相手の魂を乞う、そのような濃密な語感を込めて、和歌は神や恋人に思いを伝えるものであった。
そのような和歌を集めた歌集として、現存する最古のものが万葉集である。
雄略天皇(第21代、5世紀後半)の御歌から始まり、農民や兵士など一般庶民の歌まで収められたまさに「国民歌集」であるが、その中に使われた外来語は16語くらいしかない
当時の語彙の数は、「古代語辞典」で解説されているものだけでも8千5百語ほどあるが、そのうちのわずか16語である。それもこれらのほとんどは、「法師」「餓鬼」「香」などの仏教用語で、巻16の戯れの歌などに使われているのみである。
万葉集は、歌い手としては天皇から一般庶民に至るまで区別なく登場させているが、外来語は排除し、「大和言葉」で表現された思いを集めようとする意図が徹底されているのである。
それでは、大和言葉に息づく古代日本人の世界観を見ていきましょう。

■1.目と芽、鼻と花、歯と葉■

目と芽、鼻と花、歯と葉、耳と実(み)、頬と穂(ほ)。
顔と植物の各パーツが、まったく同様の音を持つ言葉で呼ばれているのは、偶然だろうか?
万葉学者の中西進氏の説によれば、これらは語源が共通しているからだと言う。
漢字にすれば、まったく別の言葉のように見えるが、古代の日本人は、顔のパーツも植物のハーツも、「め」「はな」「は」「み」「ほ」と同じように呼んで、同じようなものと考えていたようだ。
たとえば、鼻は顔の真ん中に突き出ている。同様に「花」も、植物の枝先の先端に咲く。
そして岬の端も「はな」と呼ぶ。薩摩半島の「長崎鼻」がその一例である。
さらに「かわりばな」「しょっぱな」「寝入りばな」など、物事の最初を表す意味も持つ。
「からだ」とは、幹をあらわす「から」に接尾語の「だ」がついたものである。
「から」が植物にも使われた例は、稲の茎の「稻幹(いながら)」、芋の茎の「芋幹(いもがら)」などの言葉に残っている。古くは手足のことを「枝(えだ)」と呼んだ。
「手」「足」と呼び分けるようになったのは、奈良時代あたりからである。
もう明らかだろう。
我々の先祖は、植物も人体も同じものだと見なしていたのである。すべては「生きとし生けるもの」なのだ。
こうして古来の大和言葉の源を辿っていくと、古代日本人の世界観が見えてくる。

■4.「生きる」「息」「命」■

「生きる」「息(いき)」「命(いのち)」は、どれも「い」で始まっている。
「いきる」の古語は「いく」であるが、これは息(いき)と同根である。
息をすることが、生きることである。
だからこそ、息をする器官である「鼻」が、顔の中心だと考えられたのである。
「いのち」の「い」は、「生く」「息」と同じである。そのほかにも、「い」は「忌(い)む(慎んで穢れを避けること)」「斎(いつ)く(神などに仕えること)」など、厳かな意味を持つ。
「いのち」の「ち」は不思議な力を持つもの、すなわち霊格を表す言葉で、「おろち(大蛇)」「いかづち(雷)」「ちち父」」などに使われている。
生けるものの体内を流れる「血」も、不思議な力の最たるものであった。
この「ち」に「から(そのもの)」を合わせた言葉が「ちから(力)」である。
「ちち(乳)」も、生命を育む不思議なちからを持った存在である。
したがって、「いのち」は「忌(い)の霊(ち)」とでも言うべき、忌み尊ぶべき霊力である。
そのような尊厳ある「いのち」が、草木や人間に宿っていると、古代の日本人は考えたのである

■6.「恋ふ」「思ふ」「悲し」■

「恋い」とは、「魂乞(たまご)い」であり、恋人の魂を乞うことだ、というのが、国文学者で歌人であった折口信夫の説である。「恋い」と「乞い」は、古代の発音は多少異なっているが、だからこそわずかな意味の違いを持つ仲間語だとも言える。
「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を呼び合うことだった。
魂の結合こそが、恋の成就だったが、それがなかなか実現しない切なさ、それこそが「こひ」だった。
そう考えれば、「わが恋止(や)まめ」とは、「あなたの魂を乞う思いが、ようやく止まるだろう」という切なさが伝わってくる。
「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」がある。現代語でも「あの人を思っている」と言う。
「おもふ」の「おも」は、「重い」の「おも」であり、心の中に重いものを感じとることが「思ふ」である。「あの人を思ふ」「国の行く末を思ふ」とは、大切なものの重みを心の中に感じながら、あれこれと考えることである。
「悲し」という言葉もある。「妻子(めこ)見れば かなしくめぐし」とは大伴家持の長歌の一節である。
「かなし」の語源は「かぬ」で、今日でも「その仕事はできかねる」というように、力が及ばなくて、果たすことができない、という意味である。「会いたいのに会えない」「幸せにしてやりたいのにできない」、そのような愛するものに対する、切なる悲哀を表す言葉が「悲し」であった。

■7.「ねがふ」「いはふ」「のろふ」■

求婚することを古代の日本語では「よばふ」と言った。「よばふ」とは「呼ぶ」+「ふ」で、「ふ」は継続を意味する。恋人の魂を「呼び続ける」ことである。
同様に「妻子の幸せを願う」などと言う時の「願う」は「ねぐ」に「ふ」がついた言葉で、「ねぐ」とは「和らげる」という意味。神様の心を和らげて、何度もその加護を願うことだった。神職の一つに「禰宜(ねぎ)」があるが、これは神の心を和ませて、その加護を願う仕事を指す。
同様に、「いはふ」は「言う」を続けること。神様を大切にする気持ちを繰り返し言うことで、これが「斎ふ」という言葉 になった。
「のろふ」は、「のる」+「ふ」で、「のる」を続けることである。「のる」は「祝詞(のりと)」、「名のり」などに、残っているように、「重大なことを告げること」を意味する。
転じて、神様の力を借りて、相手にわざわいをもたらそうとするのが「のろふ」である。
日本の神様は、それぞれに支配する範囲が決まっていて、時おり、その地に降りてきて、人間の「ねがひ」「いはひ」「のろひ」などを聞いてくれる。その神様に出てきて貰うために、 笛を吹いたり、囃したりして、「待つ」ことが「まつり」だった。その動詞形が「まつる」である。
古代日本人にとって、神様とはそのような身近な具象的な存在であった。

■8.「天(あめ)」「雨(あめ)」「海(あま)」■

「天(あめ)」は「海(あめ)」でもあった。「天」は「海」のように青く、そこからときおり「雨(あめ)」が降ってくる。そんなことから、古代日本人は天には海と同じような水域があると考えたようだ。
水が大量にある所を「海(うみ)」と言う。「うみ」は、昔は「み」とも言った。
「みず」の古語は「みづ」だが、これも同じく「み」と言った。
一面にあふれることを「みつ(満つ)」と言う。
この「みつ」から「みづみづし」という言葉も生まれた。
「瑞穂(みずほ)の国」とはわが国の古代の自称であるが、水を張った水田に青々とした稲穂が頭を垂れている姿は、古代日本人のふるさとの原景なのだろう。

以上、日本語の根源にある大和言葉には、太古の日本人の世界観・人生観が深く息づいていたようです。
ひとつひとつの言の葉に込められた「観」。これに同化してきたからこそ、住むところや年代さえも超えて「みな同じ」という地平に立ててきたのではないでしょうか?

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