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日本人の言葉と共認内容~プロローグ

2008年8月12日のなんでや劇場を機に始まった「日本人の起源」追求は、同9月のリーマンショック以降「米国発の世界経済破局が押し迫る状況にあって、新しく世界をリードするのは日本しかないと思われるが、果たして可能なのか?どうすれば可能になるのか?」という問題意識も加わり、当ブログでも色んな切口で「日本人の成立構造の中から可能性を探して」きました。
その結果、民族的には日本列島に人が住み始めた旧石器時代(縄文期)以来、大陸から断続的に渡来してきた人々が混血し、何層にも塗り重ねられた遺伝子を受け継いでいること。そして、その渡来人の多くは大陸の掠奪闘争(戦争や内乱)の玉突きで逃げ延びてきた“敗者”であることがわかってきました。
→国家・民族間闘争史の視点から見ると「(古代)日本は(私権)弱者が肩を寄せ合って創り上げた“敗け犬国家”」と捉えざるを得ません。『負け犬集団だから(こそ)今後の世界をリードできる?』これでは実現の論理とは言えません。
そこで、起源追求とは違う切口で『日本人の可能性基盤』にアプローチしてみたいと思います。
それは『日本人の共認内容の特性と変遷』です。
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多くの渡来人を受容れつつも彼らの持込む外来文化に席巻されることなく、現代まで連綿と受け継いできた『縄文的精神風土』とでも呼ぶべき日本人の共認内容は、どのようにして形成され、守られてきたのか?
中世はご多分に漏れず内乱や覇権闘争に明け暮れたにせよ、世界的に見ても早い時期に庶民が安定して暮らせる「江戸時代」を迎え、明治以降は欧米列強に肩を並べようと富国強兵~世界戦争を闘い、敗戦後も「JAPAN AS No.1」と言われるほどの経済大国になる。
るいネットやなんでや劇場では「本源的で柔軟だから」とか、「勤勉で生産性が高いから」とか、諸説提起されていますが、その(能)力の源泉はどこにあるのか??考えていきたいと思います。
共認内容について考えるとき最も基底的な位置にあるのが『言葉(言語)』だと思います。
まずは日本語の特性を解明し、これが共認内容をどのように規定しているか?を考えてみたいと思います。
今日はプロローグとして『家庭を聖域にしてはいけない』ブログから「日本語の魅力-1@日本語の成り立ち」 [2]の一部を引用紹介します。

漢字という表意文字と、ひらがな・カタカナという2種類の表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだそうです。それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力においても、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言われます。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではなく、我々の祖先がさまざまな工夫を積み重ね生み出したものです。
■文字のなかった日本語
そもそも日本人は長らく文字の無い生活をしていました。文字が無い代わりに、神話や物語・歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していたようです。古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめていますが、これも口承によって代々受け継がれていたのです。
そんな古代日本ですが、国家として国内を統合するために、文字が必要となります(その時期は定かではないですが漢字の輸入は5世紀から6世紀頃といわれます)。なにしろ文字がなければ、法も作れないし、記録も出来ないし、文書も交付することができません。
当時日本に入って来ていた文字「漢字」を使うのが一番てっとり早かったのですが、その漢字を中国語として使うのか?それをみんなが読めるのか?問題はそこにありました。

次回は万葉仮名の登場について考えます。お楽しみに♪

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