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中山太郎の「日本婚姻史」から~団体婚~☆3☆妻の相手は「氏子中」?

824.jpg暑い日が続いていますね みなさんお元気でしょうか
さて、今回は「日本婚姻史」の「団体婚」の章から、母権制度と団体婚との関係についての部分をご紹介します。
ところで、「母権制」って何でしょう?はてなキーワード [1]さんによると、

女性が社会重要性を担っている社会、またはその社会制度。
古代史における父権・母権が現在とは異色の形であり、女性に対する信仰性が強かったことなどを学者バハオーフェンが著書「母権論」のなかで示し、父権制の対立概念として近代思想に大きな影響を与えた。

とのことです。
その「母権制」と「団体婚」にどんな関係があるのでしょうか
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まずはこの節の初めの部分をご紹介します

第二節 母権制度と団体婚の関係
 原始時代の人類にあっても、その生殖に男子の参与することが重大なる要素であったことは、自己の体験より推しさらに動物の所作を見聞して、つとに悉知していたに相違ないが、果たしてどの程度まで男子の参与が有力であったかについては、ついに解釈することのできぬ問題であった。
 わが国の太古でも、生殖は男女一夜の結合では目的を達すべきものでないと信じていた。天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)が木花開耶媛(コノハナサクヤヒメ)を愛し四子を設けた折に『天神の子というとも、あによく一夜の間に人をしてはらませんや、まことにわが子にあらじ』と仰せられたとある。この仰せ言の意味を反推すると、妊娠は数夜または十数夜の結合を必要としたものとの思想が潜んでいたことが釈然する。さらに大泊瀬若建命(オオハツセワカタケルノミコト)が采女童女君を、一夜与(あたわ)して娠み女子を生んだのを疑い養わなかったのは、この思想と同じものであった。
 かくのごとく生殖に男子の参与することが要件であることは了解されていても、その程度については全く不可解のものとせられていた。しかもこの問題はひとりわが国ばかりでなく、文化が発達したといわれた十八世紀の欧州においてすらも、生殖に対して男女いずれが大なる交渉をもつかに関して激烈なる論争が繰り返され、ようやく十九世紀にいたり顕微鏡の発明とともに科学が進歩するにつれて、初めて男性の細胞と女性の細胞との肉体接合によって、新生命を生ずることが明白になったのであるから、古代の民族や全く科学を有しなかった原始人が、不可解とし神秘としたのも道理であると言えるのである。

 妊娠とは精子と卵子が受精して…と、私たちは当たり前のように思っていますが、昔の人はそんなこと知らないのですから、子どもを授かるのはとても不思議で神秘的なこと だからこそ、1回や2回の性交渉ではだめで、何回も努力(?)してやっと授かるものという感覚だったんですね。
 では、つづきです。

 加えるに、共同婚にせよ団体婚にせよ、肉体の結合が特定人の間に限られなかった婚制にあっては、生まれた子供が自分の子であると主張する権利は母親より外には無かったはずである。わが国の古い民譚に生児の胞衣(えな:人間の胎盤のこと)を洗ってみたら、『氏子中』と書いてあったというのがあるが、それほど不倫を極めた母親でも、その子は自分が分娩したのを証拠として自分の子に相違ないと主張する権利はあったのである。
 嬰児が十ヶ月の間を母の胎内に送るという事実は、共同婚制においても団体婚制においても厳然たる事実であって、これを否定することはできなかったのである。ここに母系制度が成立し、ひいて母権制度が発生するのである。
 もちろん、母系制があったからとて、それが直ちに母権制の存在を裏付けるものではないが、しかし両者は大体において前後して行なわれるかあるいは並び行なわれるものであるから、全然、両者を切り離して考えることも出来ぬのである。私はこの立場からわが国の母権制度を功覇し、あわせて母権制度が団体婚から発生していることを精査しようと思うのである。

 「氏子中(うじこじゅう)」は落語にもある話で、落語のあらすじ 千字寄席 [3]さんに詳しく紹介されていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください 😀
  すごく簡単にまとめると、昔、生まれた赤子の胞衣を洗うと、父親の名前(or紋)が書いてあって妻の相手が分かると言われていた。長い間家を留守にしていた男が、その間に妊娠した妻が生んだ子の胞衣を洗うと、「氏子中(=同じ氏神を祭る人々)」と書いてあった。つまり、村の男たちみんなが父親=相手だったという笑い話です。
  これが深刻な話ではなくて笑い話として残るくらい、日本の性はおおらかで、たくさんの相手とコトに及ぶのも珍しくはなかったということですね。
 また、性の相手が一対一ではない共同婚や団体婚においては、はっきり分かるのは母親だけであり、必然的に母系制度→母権制度が成立するというのが、中山太郎氏の考えです。なるほどですね
  次回は、母権制の名残と思われる事例についてご紹介します。今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございます

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