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村落共同体と講について 松原市での事例  2/2

Posted By sinkawa On 2009年9月2日 @ 9:17 PM In D 東洋と西洋 | 8 Comments

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前回に続き、 松原市のHPの中、「松原の人々の一生」、大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ) さんによる記事からの紹介です。
村落共同体参入と講4 [1]
  
村落共同体参入と講5 [2]
  
 
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■村落共同体参入と講4
松原の人々の講とその事例 2
 戦前までの村落共同で行われていた講は沢山ありましたが、現在ではほんの一部でしか残っていません。採集に出掛けても「へえ、そうでっか、そんなんおましたんか(あらまぁ、そうですか、そのような行事があったのですか)」と反対に聞かれるケースが通常化となり、最近は堺市へ手を広げ美原、百舌鳥まで行かなければ、講の作法が伝わっている場所を見付けることが難しくなり松原の、都市化を肌で感じています。
 講にも色々な種類がありますが、特に心引かれる講が、2種類あります。
 一つは民間信仰に基づく講で、信仰集団として結ばれた講ですが、講仲間のみが独自の祭礼を行い、それによって互助的精神構造を養い、講の仲間で一家族的共同集団性を持つ講。例えば、(1)日待ち講、同行講、観音講、庚申講、地蔵講などがこれに属し、(2)同じく民間信仰に基づき、同様に思われる講で稲荷講、護摩講、伊勢講、行者講(大峰講)などがあります。そしてもう一つ(3)宮座講、報恩講、念仏講があります。私は民間信仰で結ばれたこうした講を、三部門に分けておりますが、その中で(1)に心が引かれております。
 次にもう一つの心引かれる講があります。これは精神的、経済的互助で結ばれた講で、頼母子講、むじん講がそれに属します。この講は宗教的要素が全くなく、互助要素で組織され、信用で成り立った要素です。しかもその信用は裏切りの許されないものです。
  私はこの「講」の存在を採集したとき、江戸時代に農民のなかで作られた五人組組織の絆、信用を思い起こし、村落の錠会(じょうかい)といって夜に行われる集会で、農民一揆、上訴や反対運動の「寄り合い」の信用組織を思い起こしました。
 頼母子講もむじん講も似ていますが、むじん講は少人数で金額もずっと低く、頼母子講のようにお金がなければ労働で返すようなことはしない組織です。
むじん講の事例1 (昭和二十年代の頃)
 十分に理解できていないのですが、これらの講が無くなっていること、現在では関わった人および関わった人を知っている人を探し出す事が難しい状態から、採集品に理解不足による、ずれがあるかもしれませんが、つぎのように採集し理解しています。
 高校生男子とその姉と母親で三人暮らしであった。姉と母親は少しの畑と近所の編み物をして生計を立てていたが、高校だけは行かさなければと言って、息子を富高(とんこう)(富田林高校)へ行かせていた。修学旅行だったと思うが、むじんをかけていて、そのお金で行く予定であったが、少し足りなかった。
 母親はお金の工面に走ったがどこも貸してはもらえず、当日になったけれどお金の工面が出来なかった。母親は息子を連れてバスの所まで行って、姉がお金を工面しているから待ってくれと先生に頼んだ。先生は時間ぎりぎりまで待って下さったが、これ以上は待つことが出来ないので、その生徒を不参加として、出発しようとした。そこへ姉がお金を持って走ってきたので、修学旅行へ行くことが出来たというような話を聞いたことがあります、との採集をしています。
 この事例の語り手は、むじん仲間からお金の貸し借りは出来ない掟の強さを語って下さったのです。
 むじんの構造は、次のようなかたちだと、理解しました。例えば、三名でむじんを成立させたとして、一年間で掛けた金額の総額が一人百円とすると一年目で受けとる人は例えば270円。二年目に受け取る人は285円。三年目の最後の人は345円受け取る形のようです。受け取りの%の動きは知りませんが、毎月又は二ヶ月に一回など話し合いで決めた後、お金を積み立てていきます。事例の母親はお金を受け取っているが不足しています。しかし掟に従って仲間へ融資を頼まず、親戚縁者、知人に融資願いに走ったわけです。
むじん講の事例2
 事例1とは別のむじんの受け取り方もあるようです。前例は受取額に波がありますが、事例2は三人とも同額です。毎月積み立てて一年経てばAさんが三百円。二年目はBさんが三百円。三年目はCさんが三百円、四年目はAさんが、五年目はBさんが、六年目はCさんがと・・・・と続くようです。今はもうこうした仕組みは消えていますが、戦後苦しい中をキッと三年ごとにまとまったお金が入ることは、仕事のために欲しいと思っているものを買うなど、できないことが出来、念願の買い物を買う事が出来て助かった事と思います。
頼母子講の場合
 頼母子講は積立金ではなく、お金を借りるのです。たとえば水害で家を修理しなくてはいけないがお金がない。そこで頼母子講に頼むのだそうです。借りる人は、かくかく、しかじかで、何々をしようと思うのでO円貸して欲しい。と講の仲間に問いかけて、その後に世話役となった人が。講の仲間からお金をあずかります。利子を付けて返すそうです。
  むじんは心知れた信頼者でおこなうのに対して、こちらは村落単位でおこなわれますので、お金を出してくれる人がいない時は世話役さんがいっしょに、講仲間へ頭を下げに回ってくれたりします。返済が遅れると同様に世話役さんと頭を下げてまわります。現金収入のない時代のことですので、貸す人も労働や、材料などを出す人もいます。
 ともに共同体組織なのでトラブル無く生きていくことを第一とした方法で治められていきます。当然ですが、お金のかわりに労働や米、麦、豆などによる返済もあったようです。必ず期限には正確に返済しました。返済が終わると、赤飯を炊いて自家製自慢の漬け物などきざんで一軒一軒お礼に回ったようです。講組織はほとんど消えていますが、地蔵講のように、時の流れによって子供会へ移行し変遷した例もあります。
 
 
■村落共同体参入と講5
 
現在の講組織
 講については大変複雑で、講を採集していた頃は年齢が若かったこともあって、理解出来ない部分が多く、採集の整理や説明に不備が多くあったのではないかとおもい、今回新しく採集に回りました。残念ながら、「最近は積み立てて旅行に行くなどして、レクレーション化してきているのと違いますか」といった当たらずさわらずの回答が多くまとめることが出来ませんでした。
 そこで、松原以外の近郊も歩いたのですが、辞書的模範解答にとどまりました。それだけに、講組織の儀礼はきえる運命にあり、精力的に距離をのばして歩き、採集したものです。
 場所は和泉府中市です。松原からは車が一番速く30分、JR和泉府中駅より徒歩10分のバス停よりバスで30分、JR河内長野よりバスで40分の位置にあり、関空道路と南海電車開通により開かれたとはいえ、まだニュータウンの開発や外部からの新築移住の生活者はほとんど見られない場所です。
 語り手の住所氏名は伏せる約束にて公開無し。年齢70歳代。庄屋筋の家系。
観音講
 9月17日の日曜日は語り手の家が観音講の当番日だそうです。約二年に一回ですが、当番の家が全額負担だったので、出資額は大変な金額であったようです。観音講は毎月20日と決まっていましたが、15日にする、また土日になるように日付を変えるなど最近はきっちりと20日でなければならないといった厳密さはなくなったそうです。毎月20日の夏は午後8時、冬は7時30分から始まるのだそうです。百年以上から続いていて、講の仲間である家の組織もずうっと同じですが、この歴史ある講組織にも時代の流れがおきているようです。
 この地区は21軒で組織されているが、最近は、百年以上続いたこうした組織にひずみが出てきたようです。この地区も一軒、講を出たい(辞める)とのことで皆の了解の上で出ることになりました。これは「家」というものに対しての考え方に変遷期が起こっているのか、代々受け継いできた「家、家系、権威、伝承」など、諸々のものがおりなす、家の重圧が崩れてきて「家、家系」の重みから解放され、また重みを感じなくなった形態が世代交代の波を伴って今までのものの考え方が大きく変わってきた足音を感じられるようです。
 そこには、戦後の新しい教育で育った人々と戦前の教育で育った人々が起こす考え方のひずみに加えて、結婚形態の変革も大きく関わっているようです。今までの結婚対象は家の格式の均一や、遠縁などといった価値観や風習が同一関係であることが婚姻の必要価値であったが、近郊の人ではなく遠方からでも、縁があれば結婚する形態はもちろんのこと、人格や心が重要視される事によって、「家」と同様「組織」に対する考え方が大きく変わったようです。こうした新しい家庭環境が村落組織から出て、村落の掟に縛られることなく自由に生きていきたい考え方が、講組織脱退の申し出の動きとなったと思われます。
 最近はこの地区の例に留まらず、他の組織でもこうした状況が見られるとのことでした。ところが、出たい人いれば入りたい人有りで、この地に長く住みそれなりの財をなすと、古いしきたりのあるこうした「講」組織へ入りたい希望者もあるようです。
 しかしながらこの地区でも2軒あり「入れて欲しい」との再三の申し出があるそうですが、入ることは出来ないようです。希望者は現在この地区で上位クラスの事業をし、それなりの田畑を持ち、地区の役もこなし、地区のために諸活動しているが、一世紀以上の結束は歴史が作り上げた観音経の世界を超越した互助世界が持つ根本の問題だと思います。
 根本問題とは、先祖からの言わず語らず、の中にある「掟と結束の世界」であろうと思われます。講へ入りたい家は、明治時代にはこの地に在住していた歴史でも示されるように、講組織は百年そこそこの歴史では作れない団結と掟と助け合いの中で形成されたもので、出ることは出来ても新しく入ることの出来ない固い結束の場であることは確かのようです。
観音講の儀式とその用意
 語り手(70歳代)が嫁いできた頃は、講の当番になると大変な労力とお金が必要であったそうです。
 講組織は21軒で毎月20日に持ち回りで当番制をもって運営され21ヶ月に一回当番となります。当番の家はまず家の大掃除から始まります。昔の家は、障子の張り替えも20や30の数でないから寝ることもなく、がんばったそうです。料理の器は、大皿小皿すべて代々その家に伝わる器の中から選んだが、器選びだけでも大変であったそうです。
 料理も又並みの量ではなく、天ぷら、焼き魚、煮物、和え物など、箸休めには、きんぴら、漬け物、それに、おつまみ、酒。それにまず来るとすぐに出すおまんじゅうなどの菓子類にお茶。いきつく隙もない忙しさでしたが、子供はよく見ていたのでしょう、破れてはいけないので当日の夜中にする障子貼りで朝を迎えたとき、子供が一夜にして新しくなった障子に目を輝かせて喜び褒めてくれたとき、うれしくって疲れが吹っ飛んだ思いがしたとのことです。嫁はこれだけのことをするが当たり前の時代で、ねぎらいの言葉も無かった時代でしたから、なおさらの事だったと思います。
 掛け軸は前月の当番から引き継いだ軸です。観音様のお姿を細かい字で絵になるように観音経で書いてありました。お軸の前にはお料理とお供えが皿に乗せられ、花は色花です。皆はその前に座り経を、拍子木を叩きながらあげたようです。語り手は少しも苦(大変)に思ったことはないそうです。十年ほど前からは簡素化されて、当番の家でも食事を作らなくなり、魚瀬の料理に天ぷら、おつまみ程度になり、やがて魚(うお)ずしを3、4万円程度で仕入れて、そのうちにおつまみ、お菓子、ジュース類となりました。観音様は仏様でないのでお坊さんは呼ばないが今にお寺でするようになるかもと笑っている、とのことでした。
 
 (以上引用終わり)

  
  
   
「講」とは、元々同じ信仰を持つ人々による集会でしたが、今回の事例にあるように、共同体における相互扶助の仕組みとして深く根付いていたようです。
信仰上の集会を越えて、お金の融通による扶助、同じ立場(嫁同士、姑同士、嫁姑などの集まり)の人達が集まって支えあうなど、生活と直結した集団の具体的場として機能していたのだと思います。
このような事例を、長年インタビューして記録し続けてきた筆者の活動に頭が下がります。
今後確実に消失していくであろう「講」の実態を記録したこれらの資料は、非常に貴重なものであり、私達自身がこれから社会を作っていく際に大きなヒントを与えてくれるのではないかと思います。


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