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若者、車がなくても平気?

 2009年8月23日の日経新聞のエコノ探偵団で取り上げられていた記事では、下記のように書かれている。

2008年の20~24歳の運転免許保有率は79.5%、バブル絶頂期の1990年から約4ポイント下がっていた。特に男性の減少幅が大きく、約6ポイント減だ。
身分証明書代わりに免許を取るだけの人も増え、若者の車離れを懸念。
さらには車にお金をつぎ込んでも周囲に評価されるどころか、逆に格好悪いと思われるという。
『ドライブに行かずに若者は何をしているのかしら?』

という、もっともな疑問から最近の若者の特有の過ごし方を探っていくのだが…
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近場は自転車 旅はバスツアー
休日は家でデート
パソコンは必需品
節約生活こそ格好良い

との調査結果に、「若者の行動範囲が狭くなってきているようです」と括っているが、ちょっと表層的過ぎて若者の意識潮流の変化がどのように変わったのか、全然見えてきませんので、もう少し突っ込んだ分析をしてみたいと思います。 8)
■レジャーって何?
レジャー [2]ウィキペディア(Wikipedia)より以下引用

日本においてレジャーとは、1960年代の高度経済成長期以後、英語のleisure(レジャー)が余暇として紹介されたところにはじまる。シンプルな定義は余暇と同義で『仕事や毎日の家事以外の時間』のこと、または自由時間。しかしながら、英語でも広告宣伝などで目にするleisureはアクティブな自由時間のすごし方を表すことも多く、日本語としてのレジャーも
1.産業界・広告界の影響
2.余暇という別の用語が存在すること
から、英語以上に、積極的な活動をおこなう自由時間のすごし方を示すことが多い。

 日本でのアウトドアレジャーの歴史をさかのぼると、1961年に「レジャーブーム」が起こったという記録がある。「レジャー」という言葉が流行語になり、行楽地には人が押し寄せ、スキー客は年間で100万人、登山者は224万人を突破したという。
 時は高度経済成長期で、1960年には国民所得倍増計画が発表されるなど、日本は“豊かな時代”の入口にあった。増えた余暇時間を積極的に楽しもうという人々が増え、ハイキングやピクニック、海水浴などアウトドアでのレジャーが人気を博した。
 1960年前後の他の日本の出来事としては、東海道新幹線が開業し、海外旅行の自由化の一方で、四大公害病が発生し、都市の過密化と地方の過疎化が問題となった時代。
 つまり生産様式は農業生産→工業生産ヘと移行し、若者は都市へ働き口を求め、地方に残っていた共同体は縮小、都市へ出てきた若者は結婚→核家族化が一気に進んだ時代といえよう。
■そんな時代背景で起こったレジャーブームとは何だったのか?
 ①私権獲得者としてのステイタス(豊かな個人生活) 海外旅行、別荘での避暑、クルージング等
 ②私権圧力からの解脱先 ピクニック、ハイキング、海水浴、国内旅行等

 都市労働者を中心に経済的、時間的余力が①を、日常の阻害労働、共認非充足の代償充足が②をレジャーに求めていったのではなかろうか。
 また需要者が増えれば市場は拡大する。レジャー産業界は、よりお金を落としてくれる映画や遊園地、テーマパークへと市場規模を拡大して行き、バブル期に絶頂を迎えることになる。
 また車も①の延長線上で見れば、私権の獲得(女の獲得)として重要なアイテムの一つであったといえるのである。
 バブル崩壊後、今日に至る私権衰弱→私権崩壊の流れは、当然今の若者にも影響を与える。
  ・近場は自転車 旅はバスツアー
  ・休日は家でデート
  ・パソコンは必需品
  ・節約生活こそ格好良い
というような、バブル崩壊以前の若者と対極にいるのも頷ける。今の若者は最早私権を第一に追い求めている訳ではない。つまり車なんか無くても全然平気なのである。
 今やレジャー市場を細々と牽引しているのは40代以上の未だに私権の残像を追い求めている世代だけなのかもしれない。
■節約生活こそ格好が良い
 必要か否かの判断の土俵で考えれば、車は無くても平気なのは分かる。だが節約生活こそ格好が良いと思えるまでには、他に何か要因がありそうである。 🙄

’70年以来の充足志向・安定志向の潮流は、すでにはっきりと「節約」意識へと収束している。云うまでもなく、節約とは、言葉本来の意味での保守意識そのものである。

るいネット 潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流 [3]
 貧困が消滅し、豊かさが実現された’70年以降にその潮流はあったのだ。
 考えてみれば、日本から生まれた言葉『もったいない』や優れた省エネルギー技術を生み出してきたことからも、顕在意識が収束不全に陥った今、この潜在意識で膨らんできた保守意識(節約)が一つの評価指標として浮上してきても不思議でもないのかもしれない。
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