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私権色が消えていく若者の仲間関係

Posted By koukei On 2009年9月22日 @ 6:42 AM In E 8 日本 | 5 Comments

最近の若者意識を上手く捉えているブログ記事がありました。
先日、同僚など数人と飲んでいたときのこと、誰かが「週末は普段何してるの~?」という話題をふり、20代前半の女性Aさんは「週末は昔の友人たちと毎週のように飲みに行ってますね」と答えたあと、こう続けた。
「仲間はアタシの帰るトコロなんですよ」
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写真は遊童館 [1]からお貸しました。
若いころによくある「仲間」という連帯をことさらに重視して、それをアピールするような肩肘張った感ではなく、とても自然と出てきた言い回しだったのと、それを聞いた他のAさんと同世代の人たちも、それがさも当然のことのように受け取っている風だったので、ちょっと「ほお~」と思った。
「帰る場所」としての「仲間」という感覚は、30代半ばの僕が20代前半の頃に持っていた感覚とは微妙に――微妙であるが故に多分決定的に――違う。
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ブログ筆者は、30代後半・男性ですが、非常に優れた観察力と感性をお持ちです。
僕も20代前半当時は確かに「仲間」という紐帯に強い価値を置いていたのだけど、その仲間というのは「帰る場所」ではなく「居心地の良い場所」でしかなかった。帰る場所はどこかにあった、か、帰る場所を探してふらふらしていたかのどちらかでしかなくて、特に後者の思いが強かったと思う。
多分、どこかに僕の帰る場所があるのではないか、という強迫観念のようなものが強くて、自分探し的な動きをしていたんじゃないかな。ここではないどこかにある帰る場所、今の私ではないほんとうの私、そういうのは同じ思考上にある。
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やさしさの精神病理 (岩波新書) 大平 健 著
「やさしさの精神病理」(P175)
“やさしさ”にとって、コトバはお互いを傷つけうる危うい道具です。人々は、お互いの気持に立ち入らぬよう細心の注意を払いながら、空疎なコトバを交す一方で、コトバのいらぬウォームな関係を大切にするのです。
その思いはどうやら僕と同じ世代の多くが共有していた感覚だったらしい。95年に大ベストセラーとなった精神科医大平健氏の「やさしさの精神病理」では、当時の20代の若者たちについて、こう書かれていた。
ウォームな関係」というのは確かに、当時の僕と、僕の周りにいた人たちの関係性を表わすのに実に的確だとこの本を読んだとき思った。人間関係は徹底的に「お互いの気持に立ち入らぬよう細心の注意を払いながら、空疎なコトバを交す一方で、コトバのいらぬウォームな関係」を続け、それを心地よいと思いながら、その反面、ありもしない帰る場所、ありもしない本当の自分を探していたように思う。
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それ対して、今の30代の下、Aさんが属する10代~20代前半の世代について、エッセイスト・評論家の岸本 裕紀子氏は著書「なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? 」で、その世代の若者は自分探しをしなくなったと言い、彼らの価値観について、こう書いていた。
なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? (講談社プラスアルファ新書) 岸本 裕紀子 著
「なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? 」(P167)
常に自己実現の欲望の肥大化をはかり、もっと強く、もっと大きく、と頑張らなければならない人生は、どこまでいっても満足感は薄く、エキサイティングどころか、疲れるのではないかもっと静かで、秩序と形を重んじた、安定した生き方があるのではないかと考えている。
「半径1m以内」の身近な関係性を大事にし、大事にするだけではなくその中で安定を志向するのだと言う。そういう身近な共同体を形成し、その共同体の中で生き、そして帰っていく。旧来の共同体の崩壊の後に始まっている小さな共同体志向の一つのあらわれではないかと思う。
こういうの、頭では漠然と捉えていたのだけれど、目の前に居る人が、それを思わせる価値観の持ち主で、周囲がそれを自然なものと捉えている場に居合わせたことで、とても感慨深かった。
<以上引用>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私権時代<競争で獲得を目指す>(「友達」もライバル)
 
豊かさ実現<私権収束が無意味化>(「友達」に収束)
 
共認時代<充足・安定志向>(仲間集団に収束)
人収束が「友達」収束に向かったが、まだ私権の警戒心が残った「友達」には完全に心が開けなかった。しかし、「若者」は私権意識が低くて、私権警戒心のある「仲間」関係から、心をオープンにできて信頼できる「仲間集団」に成ってきたようである。
信頼できる仲間関係が出来れば、自ずと課題・役割の共認が、期待応望関係から発生して時代は大きく変わってくる、その兆しと思える。


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