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日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理

日本人の勤勉性。。。
敗戦からの復興やその後の経済成長、その原動力として日本人特有の「勤勉性」はよく挙げられます。
ではこの「勤勉性」はどこから来るのでしょうか。
このことに関して、るいネット [1]からとても興味深い記事を見つけたので紹介します!
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その前に応援宜しくお願いします!!
       
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日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理

リンク [3]

最近、婚姻史や共同体社会のことを調べています。その中で思うのは、女性は「勤勉」だということです。
事例としては、自然豊かな(=自然外圧が低い)東南アジアでは多分にもれず女性がよく働きます。一方、男性はのんびり・ブラブラしている。
これがあらわしているのは、
闘争存在である男性は、闘争課題があるとがんばるものの、闘争圧力がなくなると途端に「怠ける」ということ。外圧依存型の闘争性や勤勉性はもっているものの、何もない時には怠けがちなのがオスという生物なのでしょう。

一方、女性は外圧が高い場合は当然のこと、外圧が低い状態でも勤勉さを失わない。東南アジアの事例は、男性の怠け者ぶりが顕著であるため、女性の働き者ぶりが相対的に際立っているだけとみなせます。メスは基本的に勤勉な生物なのでしょう。

では、なぜ女性が勤勉なのか?
それは、充足・安定存在ゆえであると考えます。
子育て、炊事、掃除、縫い物・・・身近な周りの充足のために日夜勤勉に働くのが女性=お母さんの姿だったりします。どんな家でも女性=お母さんの勤勉さがなければ、日常的な充足・安定は維持できません。
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これを逆に見れば、女性は身近な皆の充足・安定のために働いてくれているということです。自分の勤勉さが、皆の充足・安定につながるとわかるうえ、主体的に動いていけば、皆の充足・安定を高める課題(期待)は無数にかつ常に存在します。したがって、永続的に勤勉さが持続するということでしょう。
このように考えると、「勤勉」は女原理なのだと思います。
特に、我々日本人が考える勤勉さは、この女原理発の勤勉さに根ざしているでしょう。

充足・安定を尊ぶ縄文体質とは、すなわち女原理。女原理で動いてきた我々日本人にとって、女性の勤勉さは肯定・感謝の対象であり同化対象です。そこを基点に、男性にとっての労働=闘争も認識して価値を見出していったのが日本人なのだと思います。(労働=闘争を男原理と直結させて理解する欧米人にとって、ここは理解しにくいでしょう)
今後、充足発の実現方針を出していくのは、男原理の闘争過程ですが、たゆまぬ努力の源泉である勤勉さは、女原理の勤勉さであると思います。
この勤勉さが、充足発の闘争を実現する日本人的基点になると思えてきました

 
               
以上、HAYABUSAさんの投稿からの引用でした!
😀 HAYABUSAさん、有り難うございます! 😀
 「勤勉性」と言われると、汗水流して働くお父さんをすぐにイメージしてしまいますが、実は女原理に根ざしていた、というのはとても面白いですね。
「勤勉性」もまた日本人の充足可能性への収束の結果なのだ、という点は目から鱗でした。

では同じ農耕民族の東南アジアの人達はどうなのでしょう?勤勉?怠け者?その違いはどこから来る?
私たち日本人の心に根ざす「勤勉性」には、これからどんな可能性があるの?
みんなでもっともっと深く追求してゆきたい内容です。
みなさん、コメントどしどし下さい!宜しくお願いします!!

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