「赤ちゃん教育‐脳のいい子は歩くまでにきまる」久保田カヨ子著
「天才は10歳までに作られる」の横峯吉文著
などなど、乳児期の教育が大切である事は、一般的にも言われています。
しかし実際に、乳児期の赤ちゃんは何を獲得しているのでしょうか?
何故それだけ大切なのでしょうか?
それを解き明かせてくれる 投稿
を見つけましたので紹介します。
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人は集団の中で育つ [2]
1歳6ヶ月になる息子を見ていて最近強く感じるのは、「集団の中にいるほど成長が早い」と言うことです。
例えば、それまで全く歩けなかったのが親戚の集まる場で数日過ごす間に歩き始めた、「あーあー」などの喃語しか話せなかったのが急に語彙が増えて明確に意味をもった言葉を話し始めた、いろいろな道具を使えるようになった等です。
人間は、周囲に同化する中で成長していくので、同化対象が増えるほどに成長速度が早くなるのでしょう。周囲からの「成長期待」が多く掛けられることも、影響していると感じます。
「日本古写真保存研究会」よりお借りし増した。
このような現象事実を目の当たりにする中で、現在の核家族は「人間の成長の場」としても、問題があると感じ始めました。
核家族と言う”カタワな集団”の中では、同化対象は極めて限定的になるからです。
2~3歳ともなれば、幼稚園に通ったりする中で、集団生活を経験するようになりますが、それでは”既に遅い”と感じます。
子供を見ていて思うのは、乳児期から幼児に成長するまでの過程が極めて重要であると言うこと。乳児期は観念機能が全く備わっておらず、共認機能による同化行為を通して急激に成長していきます。この時期は、表情や言葉による反応充足に最も鋭敏な時期とも言え、常に周囲の反応を羅針盤に成長していく様が見て取れます。
一般的に「社会性は幼児期に集団生活を経験する中で育まれる」と言われますが、乳児期から既に社会性の獲得(=同化能力・対象化能力の獲得)過程は始まっていると言えるでしょう。
この時期に、極めて限定的な同化対象(最も極端な場合は母親のみ)にしか触れず、集団生活に触れないのは、人間の成長過程として致命的と言っても過言ではないかもしれません。
考えてみれば、哺乳類~猿~人類は、基本的に集団の中で生まれ、成長していくのが自然の摂理。(実現論0_4_01)その摂理に反しているのですから、極めて異常な状況と言えます。
乳児期は、周囲の表情や言葉に反応充足し、その周囲の反応を羅針盤に同化能力を獲得していく。
それに比べて、母親しか同化対象のいない核家族の空間。怖いですね!
自然の摂理に則った集団の中で成長してきた先人達と、核家族と言う”カタワの集団”で成長してきた現代人を比較すると、相手の気持ちを理解したり、自然の移り変わりや状況を的確に捉える「同化能力」や「対象化能力」が低下しているのは疑いようがありませんが、観念能力に関しても(科学技術が現在のように発達していない中で、数々の工夫思考・実現思考で問題を突破してきた、先人達と現代人を比較すると)明らかに「能力低下している」と感じます。
観念能力は、共認機能=同化能力の上に構築されていくものなので、同化能力が低下すれば、必然的に観念能力も低下するのでしょう。
貧困の消滅と言う、生物史初の大転換に直面し、環境問題・経済問題を始めとする様々な未明課題に直面している人類。これからの人類には、これまで以上の同化能力・観念能力が必要とされていると言っても過言ではありません。
そう言う意味で、本源的な集団基盤を再生していくのは、行き詰まった性の再生だけでなく、真っ当な成長基盤の再生→同化能力・観念能力の再生を図っていく上でも、極めて重要な課題と言えそうです。
実現論 斉一部:前史 ヘ.人類極限時代の観念 [3]では次のように書かれています。
かくして人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→二〇〇万年前の言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
①本能
②共認(≒同化能力≒心)
③観念能力
と、順次獲得して「人類」となった。
そして、乳児期から幼児期、子供と育っていく過程も同様の道をたどるのだろう。
そうすると、本能を持って生まれてきた乳児期は、先ずもって共認(≒同化能力≒心)の獲得して、その上に次なる能力を塗り重ねていくようです。
幼児期は何を獲得するのか?
大切な事は、集団(多くの同化対象)の中で、共認(≒同化能力≒心)の獲得する事が、その後の成長に大切な事と分りました。
世の中で乳幼児養育は基礎的な重要な時期であるという事を、具体的に明確に幼児期の獲得内容を構造的説明されていて、とてもすっきしました。 😀