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2010年04月23日

『婚姻論』の史的価値とは

日本の婚姻様式は皆さんご存じの通り、一夫一婦制ですね。
また世界に目を向けると、一夫多妻制や一妻多夫制の様式もあるようです。
これらの婚姻様式は、近代になって確立したものが多く、人類500万年といわれる歴史の中では、ごくごく最近のことのようです。

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     一妻多夫(チベット)              一夫一婦

%E5%A4%A7%E5%A5%A5.jpg 日本でも一夫一婦制になったのは、明治以降のことであり、江戸時代の大奥などを見ると将軍は一夫多妻であったといえます。
このように長い歴史の中で、世界では様々な婚姻様式の変遷を繰り返しているのですが、それら『婚姻論の歴史』について調べているはずの文化人類学や社会人類学の学者が脚光を浴びるということもあまり聞いたことがありません。

          大奥
彼らのやっているはずの研究はどうなっているのでしょうか? 🙄
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それらの疑問に答えてくれる投稿が、るいネット秀作投稿にありましたので、以下に引用します。
「婚姻論」の史的価値

>婚姻論は実現論の裏付け(根拠)となる理論であるため、実現論の理解、認識を深めるために、是非るいネットに公開していただきたいと思います。
以前、「婚姻の歴史」ではなく「婚姻‘論’の歴史」を調べたことがあります。文化人類学とか社会人類学の範疇に入るのですが、フィールドワークに基づく実証主義を重んじているため、現在では、完全に行き詰っているという印象を受けました。(∵市場化によって、未開部族の多くが破壊されているため。)
従って、「婚姻の歴史」を調べるには、古い調査資料ほど(市場化による集団破壊がないため)、信憑性が高いということになります。
参考までに、以前調べた「婚姻‘論’の歴史」を掲載しておきます。
******************************
『知られざる人類婚姻史と共同体社会(家族・婚姻に関する人類学の系譜)』
■19C後半:社会進化主義
1859年に発表されたダーウィンの『種の起源』の影響を受けて、19Cの後半は、人類の社会形態についても、原初の時代から19Cの当時に至るまで連続的な発展段階を経て進化してきたと考えられていました。この考えを社会進化主義といいます。
※J・J・バッハオーフェンの『母権論』(1861)、L・H・モルガンの『古代社会』(1977)がこの流れにあります。
モルガンは、アメリカ・インディアンの親族名称が欧米のものとは異なっていることに着目し、親族名称が過去の時代の家族の発展段階を表していると考えて、人類社会の進化モデルに取り組みます。その結果、人類社会は原始乱婚の時代から血族婚家族、母系の半血族婚家族(いずれも集団婚)を経て、私有財産制の発展に伴って父系制に転換し、最後に一夫一婦制からなる核家族に到ったという立場をとりました。
■20C初頭:機能主義
20Cに入ると近代科学の実証主義の影響から、モルガン社会進化主義(資料の信憑性や実証性)に対して痛烈な批判が加えられ、特に親族名称は学術的根拠足りうるかという点が批判対象となります。その結果、未開部族に対するフィールドワークが重要視され、歴史構造を普遍化することよりも、現存する未開部族の文化や社会がどのように機能しているのかを理解すること(=機能主義)が中心テーマとなっていきます。
※B・K・マリノフスキー『西大西洋の遠洋航海者』(1922)や、ラドクリフ・ブラウン『アンダマン島民』(1922)などの説が、機能主義と呼ばれています。
フィールドワークの結果からは、多夫多妻婚の事例が存在せず、実質的に社会進化主義(人類史における集団婚の存在)が否定されていきます。そして、一対の夫婦とその子供からなる家族が人類史の古い時代に登場し、未開部族においても普遍的に存在しているという見方が支配的になっていきます。(一夫多妻婚や一妻多夫婚などの事例も、一夫一婦婚の複合的な形態であると見なされました。)
■20C中盤:統計的解析、構造主義
20Cの中盤になると、従前の機能主義の立場を踏襲しつつ、フィールドワークによって収集された民族データを基に、統計化や構造化の試みが行われます。
G・P・マードックの『社会構造(核家族の社会人類学)』(1949)では、民族データの統計的解析が行われると共に、(統計的な裏付け?の下)親族構造の基本単位として、核家族の存在がより強調されていきます。
他方、レヴィ・ストロースの『親族の基本構造』(1949)では、核家族の普遍性に疑問が投げかけられ、単体の家族の「機能」よりも、社会全体の中で家族同士の結び付きがどのような「構造」になっているかが着目されていきます。その上で、父系社会における「嫁入り」=「女性の交換」という社会統合の視点が導入されます。
■20C後半:人類学の混迷→霊長類学の台頭
20C後半になると、核家族とは異なる反証事例(インドのナーヤル人の母系社会など)が報告されたことによって、人類学の分野で家族の普遍性への確信や関心が薄れていきます。更に市場経済の拡大によって調査対象となる未開部族の社会が破壊され、実証主義→フィールドワークに依拠する追求が事実上不可能になっていきます。
文化・社会人類学で核家族論が混迷期を向かえた頃、霊長類社会と人類社会を比較研究することで家族の問題に言及しようとする動きが登場し、フィールドワークの対象が霊長類(サル)に向けられていきます。こうして、家族論のテーマは霊長類学に移行し、欧米に先駆けて霊長類研究を開拓してきた日本が、現在最先端の位置にいます。

結局、文化人類学や社会人類学の学者は、フィールドワークに基づく実証主義を重んじるために、未開部族がほとんどいなくなってしまった現在、八方塞がり状態になっていたとは… %E6%9C%AA%E9%96%8B%E9%83%A8%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%A9%9A%E5%A7%BB.jpg

でも新たな動きとして、霊長類研究が最先端となり、日本がその最先端で一歩抜きんでていることはすばらしいことだと思います。 😉

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19世紀以前の宗教による研究の弾圧やその後の一夫一婦制が絶対であるかのような都合の良い事例ばかりを集めてくるのではなく、男女の最基底をなすこの未明課題を解明していってもらいたいものです。 8)

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