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日本語の成り立ち(文字編)10~神話と呪術~

Posted By okatti On 2010年4月27日 @ 9:44 PM In F 日本人の起源 | No Comments

日本語の成り立ち(文字編)9~ト辞と殷王朝の風土・文化的背景~ [1]に続いて、神話と呪術について、文字形象を交えて紹介します。
%E6%AE%B7%E5%A2%9F.jpg神話は、自然的な世界、神々の世界、そして人間の世界の全体を一つの体系として語るもので、中国では王朝しかもっていない。
山東の龍山文化が、周辺の文化に促されながら、中央の覇権を目指して彩陶文化地帯を西進し、それぞれの文化をもつ民族との壮絶な戦いの上に神話が展開される。神話はあまりおとなしいところに生まれるものではない。
英雄的な、悲壮な運命の中で、闘い続けるいくつかの部族たちがいて、その中から自分たちの守護神としての神を作り出す。絶対的な力に依拠して、何とか自分たちの志を遂げたい、そういう野望の上に神話が成り立つ。
写真は殷墟博物館の車馬坑。こちら [2]からお借りしました。
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風のそよぎ
image038.jpg神話は古代の文字の形象のうちにも、そのおもかげをとどめた。そのころ、自然は神々のものであり、精霊のすみかであった。草木さえ言問(ことと)うといわれるように、草木にそよぐ風さえも神のおとずれであった。人々はその中にあって、神との交通を求め、自然との調和をねがった。そこでは、人々もまた自然の一部でなければならなかった。
人々は風土のなかに生まれ、その風気を受け、風俗に従い、その中に生きた。それらはすべて「与えられるもの」であった。自然の生命力が、最も普遍的な形でその存在を人々に意識させるもの、それがであった。人々は風を自然のいぶきであり、神のおとずれであると考えたのである。
図には四方の方神とその名がしるされている。

東方を析(せき)といふ。風を劦(けふ)といふ。南方を夾(けふ)といふ。風をビといふ。西方を韋(ゐ)といふ。風を彝(い)といふ。北方を□といふ。風をシュといふ。

image040.jpg四方には、それぞれその方位を司る神があった。その地域の風土は、その神の支配するところであった。しかし広大な風土に、神々の意思をゆきわたらせるには、自在な行動力をもつ神が必要であった。それで神の使者として、鳥形の神がえらばれた。の姿にかかれている。
辛(しん)字形の冠飾を戴き、豊かな羽をそなえたこの神は、姿なき神として自在に飛行する風神である。人々はその羽音、すなわち風のそよぎによって、神のおとずれを知る。春たつとき、この神のおとずれは、すべてのものに新しい生命を与える。秋風とともにおとずれる蕭条(しょうじょう)たる天地のすがたも、この神のなすわざであった。
甲骨文にみえる四方風神は、もと地方的にひろく行なわれていた山神と鳥との信仰が、方位神として統合され、その上に位置づけられたものであるらしい。それは王朝の支配の、いわば神話的表現ともみられるものである。そしてその上に至上神としてのがあり、帝もまたその使者としての風神を従えていた。地上の秩序を反映して、風神にも階層があったのである。神話はこのように、土俗的な信仰が、王朝の支配秩序に従って統合されてゆくところに成立した。
聖なるもの
image041.jpgimage039.jpgimage042.jpg人間性の最も完成された状態をという。古い字形では、ただだけのこともあり、口はサイで祝詞の器を示す形である。神に祈り、神の声を聞きうるものを示すのが原義であった。

image043.jpgの古い字形も、人が耳をそばだてている形にかかれている。

image044.jpg自然の啓示を知るには耳目の聡明を必要とするが、自然にはたらきかけ、あるいは他者に呪的な力を及ぼす行為として、の呪力が重要であった。は人の上に大きな目をかく。視るという視覚的な行為以上に、対者との交渉をもつ意味を含んでいる。
対者との霊的な交渉をもつ行為が「みる」であるが、邪霊を祓うのには呪眼を用いた。の呪力を強めるために、ときに目の上に媚飾(びしょく)を加えることがある。(び)はシャーマン的な巫女(ふじょ)であった。媚女は異族との戦いのとき、つねにその先頭に立った。敵に呪詛をかけるためである。勝敗は、両軍の媚女の呪力の優劣にかかっていた。のちの口合戦はそのなごりであろう。
image049.jpg戦いに勝った場合、相手の呪力を殺ぐことが何より必要であった。敵の媚女は戈(ほこ)にかけて殺された。その字は(べつ)で、その呪力を無くする意味であった。

古代の人々にとって、聞くこと、見ることは、言うこととともに、深い意味のある行為であった。見ることは、相手の霊と交渉をもつことであり、ことばとしてあらわされたものは、相手にはたらきかけ、そのままに実現されるべきものであったことだまの信仰は、原始の時代には普遍的なものであった。聖は聡のように、耳さときものが神聖な人とされたのは、このような時代のことである。
呪術について
image048.jpg呪術というとき、は巫祝の行なうことばによる呪詛であるが、は動物霊を用いる方法である。術は求とよく似た字に従っている。求は裘(かわごろも)の字形からも知られるように、動物の毛皮で、呪術には多くの獣皮が用いられた。動物の皮をはりつけて悪霊を祓う、いわゆる磔禳(たくじょう)である。
これをうつ字は救、やはり防御的な呪術を意味する。崇(たたり)をなす動物をうつ形は、殺の字形にも残されている。は殺すことが目的なのではなく、これによって、相手の行なう呪詛の効果を減殺するのである。殺は呪霊を放逐するのがその原義。

道祖神のまつり
image051.gif出発式には、犬牲を用いる類や軷(はつ)のほか、馬祖をまつる禡(ば)のまつりがあった。このように出発に際して種々の儀礼が行なわれるのは、異神の支配する地に赴くことがどのように危険なものであるかを、当時の人々が感じていたからである。故郷においては産土神(うぶすながみ)にまもられ、他の神々ともいちおう親しい関係にある。しかし一歩その地を離れると、異神邪霊にとりかこまれて、あらゆる危険に直面しなければならない。またそこにはどのような呪詛が加えられているか知られない。
はおそるべきものであった。もし呪詛が加えられていると、人は必ずそのわざわいを受けた。そのため道路には、これを防ぐ種々の呪禁を加えておく必要がある。道はその字形の通り、首を埋めて修祓を加えた道であった。金文の字形には、首を手に持った字形がかかれている。おそらく異族の首を奉じていたのであろう。
四凶放竄
境界や辺塞に呪禁を施すことの根拠は、王朝的規模においては、神話の形で表現される。四凶放竄(ほうざん)の神話がそれである。『書経』の堯典には、堯帝の最後の治績として、四方を巡視し、典刑を制したのち、四凶を地の果てに追放する話をしるしている。古代神話にかなりの改変を加えたものだが、異族神追放を典刑制定の基礎とするという観念は、なおかなり明確に残されている。
中国がみずからを中華といい、四方を四海というのは、これら四凶の住む周辺を晦冥(かいめい)とする神話的な世界像のあらわれである。ペルシアの神話は、光明神と暗黒神との闘争という二元的世界として語られているが、中国の神話は、暗黒神の追放という形をとっている。
異族を犠牲とし、動物霊を駆使し、あらゆる呪物を用いて呪禁を行なうのは、その背後に、アニミズム的な世界観や、精霊の観念があることを示している。殷王の壮大な陵墓遺跡からも、文字形象のうちにも、その証跡を残しているのである。
(引用文献) 白川静『漢字-生い立ちとその背景-』『文字講話Ⅰ』『常用字解』


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