この「人類婚姻氏と共同社会」のブログでは、共同体社会の原基構想とは?を追求テーマの一つにしています。
るいネットの劇場会議で、「日本人はいつ物を考え出すのか?」が扱われて、その内容投稿が非常に参考となります。噛み砕きながら5回シリーズ予定でご紹介いたします。
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ポイントは
’10年代、私権体制(企業)が崩壊過程に入り、共同体の時代が始まったというもの。
では、私権体制の崩壊を裏づける現象は?
①福知山線事故に代表されるミス大爆発、JALの経営破綻やトヨタの欠陥車問題、さらにはメキシコ湾原油流出事故のBPに代表される隠蔽・誤魔化し・言い訳の蔓延。
②世界金融危機。
’80年代の日本のバブルとその崩壊は日本一国だけの問題で、私権体制の崩壊には繋がらなかったが、’08年以降の世界金融危機は、世界バブルの崩壊である。かつ、その震源地は資本主義の本尊である米・欧であり、崩壊度が大きいのも米・欧であることから考えて、資本主義の破綻or行き詰まりであることは明らか。加えて、ドル・米国債の暴落が起これば、それはドル体制の崩壊であり、そうなれば資本主義は完全に終焉に至る。
③遊びの失速
近代以降、とりわけ戦後一貫して遊び第一の価値観一色だったが、今や遊び第一は完全に崩壊した。これが’10年代の最大の特徴である。遊びこそ私権追求の活力源(最終目的物)であり、それが失速した以上、私権活力が急速に衰弱してゆくのは必然である。
この私権追求の活力衰弱が全ての根底にあり、’70年以降から始まる私権欠乏の衰弱→物が売れない→市場縮小⇒支配階級には都合が悪いので、国の借金によって人工的に需要を作り出してきた。人工呼吸装置によってかろうじて生き延びているのが現在の市場なのである。しかも、物が売れない以上、ばら撒いたお金は金融市場に流れ込み、市場は必然的にバブル化し崩壊する。
また、私権圧力が衰弱し、序列原理が機能しなくなると、上から命令してもその通りには動かなくなり、各企業において(都合の悪いことは)隠蔽・誤魔化し・言い訳のオンパレードになる。指揮系統が機能しなくなる、この現象こそ、私権体制の崩壊そのものである。
今や、私権体制・序列体制がもたなくなっているということだが、私権企業の衰弱する一方で、’00年代に入って、様々な共同体的企業が続々と登場し、しかも軒並み成功している。これが、共同体の時代に入ったとする根拠である。
’72年に類グループは共同体企業として設立されたが、それは明らかに時期尚早であり、私権社会の中で共同体を実現すべく35年以上に亙って苦闘してきた。その類グループ代表がようやく共同体の時代が来たと自信を持って発信できるようになったことが、共同体の時代に入ったことの最大の根拠とも言える。
「私権時代が終焉して、共同体の時代が始まりだしている」と言う認識は重要です。
そして共同体的な企業の実例もたくさん出てきています。
菅原 勇継【著】文春ネスコ 文芸春秋〔発売〕 (2002/07/05 出版)
このように、時代は私権社会から共認社会へと大転換を遂げつつあるが、共認時代に必要とされる能力は何か?
共認力(共認形成力)であることは言うまでもないが、その中身は、周りの期待や課題をキャッチする受信力・期待や課題の本質を掴む照準力である。そして、共認力の母胎となるのは周りとの共認充足であり、それこそが共認時代の活力源なのである。
本来、人間関係は充足の素であり、健全な人は人間関係をプラス視しているが、私権時代においては人間関係とは厄介な煩わしいものであったがために、人間関係を否定視し、そこから逃避している人が過半であった。これを逃避体質と言う。原始共同体の時代に人間嫌いがあったはずがないので、逃避体質とは私権を巡って人々がしのぎを削る私権時代の産物である。
私権時代から共認時代へと大転換した今や、共認充足を知らないということは人間失格、少なくとも社会人失格(全く戦力にならない)である。そのためには、まず人間関係の否定視から脱却して肯定視することが共認充足を得るイロハのイである。
充足性・肯定視はとりわけ女の得意分野であり、女の充足性をどこまで引き出せるかが、企業の勝敗を決する。女たちの充足発信(期待やプラス評価)→充足した共認空間づくりが企業活力の源泉となる。
過渡期であるこの10~20年は、充足生の空間→活力だけでも十分勝ってゆける。∵少なくとも、これから10年間は活力を生み出せた所が勝ちだからである。
当面は、元気が出る企業か、活力をそがれる会社かで、その成否が決まる!
では、更なる勝敗をきする「認識力」とは?を次回に考えていきます。
ご期待ください