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古代ヨーロッパ:ミケーネ文明→海の民→古代ギリシア停滞期(暗黒時代)へ

Posted By minene71 On 2010年12月9日 @ 8:57 PM In E 3 西アジア・ヨーロッパ | 7 Comments

前回に引き続き、古代ヨーロッパの歴史を追ってみたいと思います。
(前回:古代ヨーロッパ:ギリシャに農耕伝達~クレタ文明滅亡→ミケーネ文明 [1]
クレタ文明の滅亡は「火山の噴火や地震によって崩壊した」との記述をよく見掛けることと思います。また一方で、天災説は時代の不一致などからあまり有力視されていないとの記述も・・・。
さらには、交易という視点に立った文献では「クレタ・ミュケナイ文明」と一体表現され、エーゲ海文明の主要交易の一連の文明とされているものもあります。
では、ミケーネ(ミュケナイ)文明海の民やドーリア人らが侵入?古代ギリシア停滞期(=暗黒時代)への流れを押さえていこうと思います。
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ミノア文明からミケーネ文明への移り変わりはどうなっていくのか?
交易面(海)からみた歴史の移り変わりを紹介したサイトがありましたので紹介します。
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ミケーネ文明の遺跡              鳥瞰図
以下引用です

前1700年頃、クレタ島はテラ(現サントリーニ)島の火山爆発と地震によって破壊されるが、すぐに再建され、前1600年頃首都のクノッソスは推定8万人の人口を擁する、当時の世界最大の都市となった。その宮殿に船を引き入れ、接岸させて、交易品を集散させていた。それが最盛期を迎えた頃から、好戦的なミュケナイなどギリシア本土の都市が頭角を現し、強力な競争者となってくる。
 ミュケナイ人は、前1600年頃よりクレタ人と接触し、かれらから航海と交易の方法を学び、その文明を取り込む。ここにミノア・ミュケナイ文明へと発展する。最終的に、前1400年頃当のミュケナイ人がクレタ島に押し入り、エーゲ海を制圧し、交易をわがものにしてしまう。ここにミノア文明は滅亡し、再生することはなかった。他方、ミュケナイ文明は最盛期をむかえる。
 ミュケナイの交易はクレタと基本的に同じであったが、前1400-1200年頃にかけて、地中海東部ばかりでなく中部にも居留地を置き、交易を拡げていった。ミュケナイはエジプトと交易しており、ミュケナイには新王国第18王朝アメンヘテプ三世(在位前1391-53)の遺物が出土し、また同三世葬祭殿には交易相手先が刻まれた「エーゲ海リスト」がある。ミュケナイの陶器が東地中海アジアの多数の都市から出土しているが、ウガリットの結びつきは強かったとみられる(エーゲ海世界、図版:『世界歴史地図』、p.36-7、参照)。
 しかし、前13世紀における「海の民」、そしてドリス人が侵入してくると、ミノア・ミュケナイ文明は崩壊する。それから約300年、ギリシアは「暗黒時代」に入ったとされる

「海上交易の世界と歴史」 [8] より引用
上記の事から、交易の発展による競争関係が優劣を生みだし、その文明を支配していったと考えられます(ミノア文明の滅亡→ミュケナイ文明へ)。
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運河:港から宮殿まで距離がある(ミュケナイ文明)
その後(BC1200年頃)、ミュケナイへの海の民の侵入はなぜ起こったのか?を見ていきましょう。
以下引用です。

「2.海の民
その時(前1200年頃)には非ギリシア民とギリシア民が同時に、異民族の住む土地を獲得しようという一種の衝動に駆られていた。
当時のことを振り返って、紀元前後頃のギリシアの歴史家ストラボンはこう述べている。実に正鵠を射た言葉であった。ヨーロッパ北部は寒冷化にともなって湿潤化し、恐らくは豪雨に見舞われ、飢饉が蔓延した。更にそんな中、エルベ川河口のバジレイア島が水面の底に沈んだのである。住処を逐われたバジレイア島の住民(後世でいう「海の民」)は、飢饉で荒廃したヨーロッパ北部の土地を見捨て、サイスの神官ソンキスの言うように、民を(ナイル川が)窮地から脱却させて救ってくれるというエジプトの地を目差し、南へと民族全員を連れて旅立った。後にドイツの牧師コールゲン・シュパヌートはその著書『北海のアトランチス』の中で、プラトンの伝えるアトランティスの侵攻とは、この時のものだったと比定しているが、本筋には関係ないので、また別の機会に別のところで触れるとしよう。(中略)

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北半球の気候変動
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当時の気候をシミュレーション
ヨーロッパ北部は寒冷化にともなって湿潤化し、飢饉が蔓延した。
要するに自然外圧が生み出した、民族の移動がその原因という事が分かります。

さて、「海の民」は行く先々で、飢饉のため祖国を見捨てた人々を糾合し、次第に巨大な軍勢にふくれあがっていった。彼等は当時ドナウ川流域に住んでいたイリュリア人やドーリア人を追い散らしたり、自軍に組み込んだりしてドナウ川を渡り、嵐のごとくミュケナイ文明の花咲くギリシアに迫った。危険を感じたギリシア各地の土侯たちは民衆及び彼等の家畜の少なくとも一部を退避させるための、壮大な塁壁を築く[8]ことでこの苦難をやり過ごそうとした。ボイオティア地方のグラー等がその代表例である。
しかし、文献記録では見あたらないとはいえ、図を見て判るように、土侯たちは領地が旱魃ないしは大雨に襲われている中、塁壁造りを強行したのである。当然、この後ミュケナイ諸国の国力は急降下し、攻め寄せる「海の民」がイストモス(コリント地峡)で待ち伏せるミュケナイ連合軍の裏をかき、ナウパクトスから大船団を組んでピュロスやミュケナイ、クノーソスといった主要都市を直接攻撃するやいなや、空気を抜かれた風船のようにミュケナイ側の戦力は四散して消滅した。コドロス王が自分の生命と引き替えに守り抜いたアテナイ、内陸に位置し、侵入者をうまく懐柔できたアルカディア等少数の土地を除いて、ギリシアのほぼ全域が「海の民」やドーリア人の手に委ねられ、「海の民」侵入前夜(ヘラディックⅢB)に全部で320あった集落は、その後40(ヘラディックⅢC2)にまで落ち込んだ。役人を含む政治に携わる人々もほとんどが飢えや疫病、海の民の襲来などに斃れ、クレタの線文字Aを元に作成されたギリシア最初の文字、線文字Bの知識は完全に失われ、300年程後にフェニキア人からアルファベットを学び取るまで、所謂「暗黒時代」が続いた。(中略)

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海の民は南下しイリュリア人やドーリア人を追い散らす
海の民によって難民化した「アカイア人、エトルリア人、リュキア人」はその後どうなる?

ミュケナイやヒッタイトが滅亡し、侵入者「海の民」に故郷を追われた、アカイア人、エトルリア人、リュキア人などを始めとする難民たちは、恐らくは「「海の民」と同じ発想から豊かなエジプトを目差した。或いはそれ以上に大王ラメセスⅡ世の死を奇貨として弱体化したエジプトを選んだのかも知れない。いずれにせよ、今となっては真相は闇の中である。同じ頃、リビアでも気候変動の影響で乾燥化が顕著になり、1年中テヘヌーの地は焼かれ、リビアの村々は荒廃し、通商も途絶えていた。リビア人達は次第に過酷になるサハラ砂漠を逃れ、家族ぐるみでエジプトを目差す。ここのどこかのタイミングでリビア人は小アジア・ギリシアの避難民と出会ったようだ。ここにこの破局を生き延びようとする者同士の「反エジプト大同盟」が結成され、彼等は大挙デルタ西境のペリレに迫った。彼等は当然家族ぐるみで移動ををしていたため、その軍勢は男女から構成されていた。このことがやがて彼等の破滅の基となる。

「古代文明の滅亡」 [13] より引用
上記の引用文のうち
>その軍勢は男女から構成されていた。このことがやがて彼等の破滅の基となる。
この事は、古代ローマ時代の堕落へと繋がっていきます。
以上の事から、
農耕母系社会であったとされるミノア文明から、ミュケナイ文明までの間に気候変動が起きる。
それまでは 城壁のない宮殿 女神 集団婚
 

1 ミノス文明:BC20C
   広大な宮殿、自然を讃える芸術
   女神:ポトニア・テーローン
   祭儀:供犠、奉納

ミュケナイ文明期には海の民をはじめ、それに追われたドーリア人の侵入が始まり、外圧が高くなる。
城壁の構築 男性天空神 集団婚→勇士婚?

2 ミュケナイ文明
   男性天空神の誕生
   人間の供犠

古代の宗教 [14] より引用
という変化が伺えます。
当然、海の民による侵略によって掠奪婚化したことは想像に値するでしょう。
その後の歴史(300年程)は、ギリシア最初の文字「線文字A」と「線文字B」による知識は完全に失われた状態であり、フェニキア人からアルファベットを学び取るまで、「暗黒時代」が続きます・・・。


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[8] 「海上交易の世界と歴史」: http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/index.html

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[13] 「古代文明の滅亡」: http://historyrakusei.bake-neko.net/clima/1200bc_seapeople.html

[14] 古代の宗教: http://zatugaku.jp/reli-3.htm

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