みなさん、あけましておめでとうございます:D
元旦から3日連続でお送りしている特別テーマ「日本」。
最終日の今日は、かつて日本の農村共同体で行われていた「夜這い婚」の特集です。なぜ「夜這い婚」を取り上げるのか?それは、日本人の集団性を考える上で「夜這い婚」が非常に重要になると考えられるからです。

画像はこちらからお借りしました。遊あいらんど [1]
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「夜這い婚」については、これまでも何度か当ブログで取り上げてきました。
現代社会において「夜這い」と言う言葉は良い意味では使われませんが、「夜這い婚」は、日本の婚姻史を紐解く上で、最も重要なキーワードと言っても過言ではありません。
では「夜這い婚」とはどのようなものなのか?
まずその起源について、るいネット投稿を見てみましょう。
「夜這い」の起源、あるいは全国でここまで広く行われていた理由については、諸説があります。
ひとつは、集団婚、妻問婚の名残とみる説です。集団婚という婚姻形態は、ひとことで言えば複数の男と女がグループで婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて採取時代から歴史的に長く行われていたかたちです。また、妻問婚とは、男が女性のもとへ通う婚姻形を指しています。この場合、語源についても「夜這い」→ヨバフ、ヨブ(男を「呼ぶ」)と解されているようです。高群逸枝などが、こちらの説に依っています。
もうひとつは、近世郷村の農村社会に固有の様式、とみる立場です。赤松啓介はどちらかというとこっちに近い。つまり夜這いは、ムラの置かれた現実の状況(特に経済状況)に対して、村落共同体という自治集団を維持していくための実質的な婚姻制度、もしくは性的規範であるとする見方です。
(以上、るいネット投稿「夜這い婚」 [3]より)
赤松啓介氏は、日本の民俗学者で「夜這い婚」をはじめ、庶民の性風俗研究で著名な方です。
詳しくはこちら→赤松啓介赤松啓介 [4]、赤松啓介~大衆の大らかな「性」を伝えたかった学者~ [5]
起源論については、大きく上記の2説がありますが、いずれにしても婚姻様式として、今日のように1対1の男女が(独占的)婚姻関係を結ぶのではなく、特定集団(共同体)内の複数の男女が、婚姻関係を結ぶのが「夜這い婚」の特徴です。そういう意味で、広義には「夜這い婚」=「集団婚」と位置つけることが出来ます。
なお赤松啓介氏の研究によって、「夜這い婚」では特定男女の独占関係は存在せず、村落内の男女が皆等しく性の充足を得られるようにシステム化されていたことが解っています。
赤松は、「夜這い」を二つの類型に分類しています。
「総当り型」
若者に加え、既婚者も夜這いの参加を認める型(後家や女中、子守ももちろん含む)。20~30戸の小字が多い。この型のなかでも、女房持ちは他人の女房を、若衆は娘をというように分化しているムラと、特に区別をしない文字通りの総当りであったムラとがあるようです。ただしさすがに、他人の女房に夜這いするのは、主人が留守のときに限られるそうです。
「若衆型」
若衆仲間にのみ夜這いの権限が公認され、対象は同世代の娘仲間(+後家)に限られる型。ムラの戸数は相対的に多く、若衆と娘の員数が均衡していることが多い。この型のなかでも、基本的に全ての若衆と寝るやりかたと、ある程度の選別ができるムラとがあったようです。また1年ごとにくじ引きで相手を決める方式を採用する例もあります。総当り型に比べ様式化されたかたちと言えると思います。この場合、嫁をもらうと基本的には、夜這いは卒業ということになります。
「総当り型」となるか「若衆型」となるかは、ムラの規模にもよりますが、そのムラの置かれた現実の経済状況による面が大きいようです。いずれにしても表向きは(一応)一夫一婦制ですが、実態的にはその制度は解体され、代わりに皆が性的満足を得られるシステムで補完されていた、と見ることができるのではないかと思います。そしてそのようなシステム=「夜這い」は村落共同体を維持するために必要不可欠であったがために、全国で普遍的に行われるようになったのだろうと思います。
(以上、るいネット投稿「夜這い婚」 [3]より)
上記引用から「夜這い婚」は(一般的にイメージされるような)乱婚ではなく、(集団を維持していく上での)集団規範に基づいた婚姻形態であることが解り、それを実践していく上で、様々なシステム化が図られていたことが解ります。すなわち「夜這い婚」とは、集団皆が性の充足を得るための婚姻規範・婚姻形態と言えます。
なお「夜這い婚」は日本の村落共同体で当たり前に見られた風俗であり、驚くべきことに最も近年まで残っていた地域では昭和30年代まで行われていた記録が残っています。(飛騨高山の伝統的民家には屋根裏部屋に入れる出入り口があるそうですが、これはかつて夜這いのために使われた出入り口だそうです。参考:夜這いを懐かしむ民宿の主人からみた現代の性 [6])
このように「夜這い婚」はかつての日本で当たり前に行われていた性風俗だったわけですが、明治政府による近代化政策と市場拡大によって「夜這い婚」は弾圧され、解体されていきました。
参考:夜這いの解体と一夫一婦制の確立1~4 [7]
それでも、地方によっては昭和初期まで残っていたことになり、いかに「夜這い婚」が村落共同体にとって重要であったかを伺い知ることができます。私たちが当たり前に思っている現在の婚姻制度(一対婚制度)は、少なくても日本(の庶民)においては長くても100年程度の歴史しかないのです。
さて、ここで、もう一度「夜這い婚」の起源について考えてみます。
最初の引用にもあるように、「夜這い婚」は近世郷村の農村社会に固有の様式と言う見方と、より古来(始原は採取時代)からの集団婚、妻問婚の名残と見る見方の2説がありますが、「夜這い婚」と判断される記録は近世以前にも確認されます。(形は違いますが、古事記などの日本神話の中にも確認されます)
このことから、「夜這い婚」の歴史は近世よりもずっと遡り、根源的には縄文時代(採取時代)から連綿と行われてきた集団婚(正確には部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う「総偶婚」)が、「夜這い婚」の原形であると考えられます。
話が飛ぶようですが、日本人は世界でもまれな集団性を有しています。明治維新以降、西欧から個人主義的価値観・観念群がもたらされ、近代教育の中で広がっていきますが、それでも日本人の根源的・本質的な集団性は、心の奥深くに存在していると感じます。(最も象徴的なのは、震災時などに見られる共同性でしょう。アメリカでのハリケーン・カトリーナの時に見られたように、西欧の災害時は略奪闘争が巻き起こりますが、日本では皆が協力して助け合う姿が常に見られます)
これまで「夜這い婚」について見てきましたが、数千年にわたる歴史を通して、集団皆で充足を共有する婚姻制度(総偶婚→夜這い婚)を維持してきたことが、このような日本人の共同性・集団性の背後にあるのは間違いないと感じています。
元旦の記事でも触れられているように、2008年9月に起きたリーマン・ショックを契機にして、西欧発の資本主義社会・私権文明は崩壊の一途を辿っており、近年中に予測されているドル崩壊が起これば、世界が一気に略奪闘争→滅亡の道へと陥ることも考えられます。このような状況の中、我々日本人の心の底に残る、本源的な集団性・共同性は、人類再生の基盤を成すものとして極めて重要になってきます。
そういう意味でも、「夜這い婚」のような日本人の心の根源となっている史実を紐解き、集団再生の道を探っていくことは、今年ますます重要になってくると感じています。このブログに参加されている皆さん、このブログを読まれている皆さん、本年も婚姻史の追求を中心に、歴史事実の追究をよろしくお願いします:D