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日本人の起源を探る ② ~2万年前に南からも移住していた

Posted By kato On 2011年3月6日 @ 8:03 PM In F 日本人の起源 | Comments Disabled

 シリーズ『日本人の起源を探る』の2回目です。前回の投稿では、縄文人の祖先をシベリヤのブリヤート族とするNHKの番組が紹介されていましたが。今回は南からのルートについてアプローチしてみたいと思います。
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『2万年前に南からも移住していた』(リンク [3]

移住の時期などに関して、さらに注目すべき遺跡がありました.
●鹿児島県曽於郡財部町の耳取遺跡
大隅半島の付け根近くにあるこの遺跡で「耳取ビーナス」と呼ばれる、軟質シルト質頁岩の線刻礫[せんこくれき]が出土しました.約2万4000年前のものとされ、同時代の日本列島で実用品以外の石器の出土は少ないことから注目を集めました.
こうした考古学的な遺跡からも、時の「日本」に南北両方から人々が移住してきたことがわかります.
●土器の製作跡も見つかっている
同じく鹿児島県薩摩半島の先端近くに位置する水迫(みずさこ)遺跡は、1999年に発見されました.桜島が噴火したとみられる1万1400年前と2万4000年前の火山灰層に挟まれた地層にあり、竪穴住居跡、道跡、そして多数の石器(細石刃・細石核)などがセットで出土しました.
最近行われた追加発掘でも新たな集落跡が相次いで見つかるなど、その規模の大きさもさることながら、国内では初めて、旧石器時代に工作の痕跡がある道の跡が出土しています.これまで移住生活と考えられてきた時代観に大きく修正を迫るものとして、今後も注目を集めることでしょう.
住居跡の出土状態からみて、定住と移住を交互に行っていたのではないかと見られています.
さらにこの遺跡では、土器に火入れを施す炉跡(ファイアーピット)も発見されました.大きさにして直径約50センチ、深さ20~15センチ程度.住居跡2基より約4・5メートル離れた位置で見つかっています.たき火の繰り返しにより土が赤く変色し、燃え残りの炭化物も見つかっています.

○耳取遺跡リンク [4]
○水迫遺跡リンク [5]
 これを読むと少なくとも縄文以前、2万4000年前には九州南端に人が住んでいたようです。上記の記事だけでは彼らがどこから来たのかわからないのでもう少し周辺の遺跡を調べてみることにします。
 年代、地域的に近いものとして、種田島の横峯、立切両遺跡と比較して見ましょう。
○横峯遺跡リンク [6]
 横峯遺跡は、種子島で初めて発見された旧石器時代の遺跡です。発掘調査によって旧石器時代・縄文時代草創期・縄文時代早期という3つの時期にわたって、人がこの地に住んでいた跡が見つかりました。
 旧石器時代の層は、3層確認されました。特に種Ⅳ火山灰と呼ばれる約3万年前の火山灰の下にある層で見つかった礫群は、国内最古級の調理場跡の発見として大変注目を集めました。また、敲石や台石、磨石、礫器も見つかっています。
○立切遺跡リンク [7]
 中種子町教育委員会が平成9年度に本調査を実施しました。当時日本最古の生活跡として,大きな話題となりました。
 約3万年前の堆積物である種4火山灰層の下では,土坑2基,焼土跡14か所,礫群などの遺構と磨石,叩石,台石,砥石,礫器,打製石斧,局部磨製石斧が出土し,種子島における後期旧石器時代の様子を知る遺跡として,横峯C遺跡とともに,日本最古級の貴重な遺跡であるとして注目されています。
従来考えられてきた,狩猟中心の旧石器時代の生業観に修正を迫る,植物食中心の生業形態が推定されています。 
 横峯、立切両遺跡とも、約3万年~3万5000年前の遺跡で場所はともに種子島です。この頃の地球はヴュルム氷期にあたり、海面は今より140~150mも下がっていたらしい。そのため、瀬戸内海は陸地で、本州、四国、九州、沖縄諸島など、ひとつの長い島だったと考えられています。種子島や屋久島が九州から切り離されたのは今から1万5000年前のことです。
 
 このことから考えると、旧石器時代に人類が南方ルートで日本に入ってきたようにも思えますが、耳取、水迫遺跡と、横峯、立切遺跡とで大きく違っているものがあります。それは出土している石器です。
耳取遺跡出土石器
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立切遺跡出土石器
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 耳取遺跡から出土した石器は、『ナイフ形石器』と呼ばれる鋭角の形状をしているのに対し、立切遺跡から出土した石器は『礫石器』と呼ばれる自然石を打ち欠いただけの原初的な石器です。ナイフ形石器は朝鮮半島の遺跡から多く出土しており、耳取遺跡に住んでいた人類は朝鮮半島経由の可能性が高そうです。
  では、陸続きであった、種子島に住んでいた人類はとうなったのでしょう?地層調査の結果、2万8000年前~2万6000年前に鹿児島湾の姶良カルデラ大噴火があったことがわかっています。火山灰層が北海道を除く列島全土で見つかっており、大きな気候変動があったことが想像できます。彼らの生存域は、一時期大きく南方に後退したのではないでしょうか。その間隙を縫って朝鮮半島経由でナイフ形石器を持った人類がやってきたのかもしれません。


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[6] リンク: http://www.town.minamitane.kagoshima.jp/bunkazai/bunkazai_details.html

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