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日本人の起源を探る9~南方か北方かを言葉からみる

みなさん、こんばんは。
「日本人の起源を探る」シリーズも9回目となりました。
日本人の起源を“日本語の形成”から探る2回目です。
前回は、日本語と類似性をもつ各言語が紹介されました。
今回は、日本語の起源は南方なのか北方なのかを探るため、
まずは現在の学説がどうなっているのか具体的に見ていきます。
続きの前に応援ヨロシクです!
[1] 


南方か北方かを言葉からみる [2]』より紹介します。

以下は,縄文語の復元をされている,国立民族学博物館 崎山理教授の研究を紹介するHPの引用です。
>ところで、縄文語はどのような言葉であったのか。
 これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。
 ・・・引用終わり
—どうも,縄文のことばは,南方と北方の言葉の融合したもののようですね。
—また縄文語は,現在の日本語ときわめて近い音を持っていたようです。

ここでは南方(オーストロネシア諸語)と北方(ツングース諸語)の混合によって日本語が形成されたとする崎山氏の説が紹介されています。
これまでの主要な学説を日本語の起源 [3] より紹介します。
アルタイ語族説
日本語をアルタイ系言語、アルタイ諸語のひとつとする説。
アルタイ諸語に属するとする説は、明治時代末から特に注目されてきた。その根拠として、古代の日本語(大和言葉)において語頭にr音(流音)が立たないこと、一種の母音調和がみられることなどが挙げられる。ただし、アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく、したがって古代日本語に上記の特徴がみられることは、日本語が類型として「アルタイ型」の言語であるという以上の意味をもたない。研究者間で意見の一致が見られる比較例は、全般的な統語論的特徴(タイポロジー)、いくつかの音韻論的要素、人称・指示代名詞システム、動詞や形容詞の活用形の一部、助詞の一部、たかだか数十の語彙などにとどまっており、いまだ日本語=アルタイ語族説は十分に実証されていない。ポッペのアルタイ祖語の音韻の再構についても批判的に検討され、アルタイ仮説は破綻したと見る研究者もいる。
朝鮮語同系説
朝鮮語と日本語の関係についての議論は、日本では江戸時代に遡る古い歴史がある。
アルタイ比較言語学のS. マーティンやR. ミラーらの日本・朝鮮共通祖語再構については、日本語と朝鮮語の二言語を直接比較して共通祖語を求める点など問題が指摘されている。一方で、A. ボビンのように、日本語と朝鮮語間でいくつかの文法的要素が一致する事を根拠に、系統的に同一のものと主張される場合もある。ただし、言語比較の上で最も重要視される、基礎的な語彙や音韻体系において決定的に相違する。
オーストロネシア語族説
オーストロネシア語族が日本祖語を形成した言語のひとつだったとする説。現在、主流な説は、日本語がアルタイ系言語と南島語の混合語起源とするものであるが、「混合」の定義・プロセスについては、論者の間で見解の相違がある。日本人の民族学人類学的な特徴が混合的なものであることは、古くから指摘されてきた所であるが、言語学者の間では日本語アルタイ起源説が19世紀以来、定説とみなされてきた。
混合言語説
ロシアの言語学者、エフゲニー・ポリワーノフは、特に日本語のアクセント史に関する研究を基に、日本語がオーストロネシア諸語とアルタイ系言語との混合言語であるという説を初めて提唱した。
村山七郎はポリワーノフの先駆的研究を再発見し、混合言語説を展開した。村山は元来、アルタイ比較言語学の立場から日本語系統問題を考究していたが、日本語にはアルタイ起源では説明がつかない語彙があまりに多いという見解に達し、南島語と日本語の比較に注目するようになった。村山によれば、いわゆる基礎語彙の約35%、文法要素の一部が南島語起源であり、このような深い浸透は借用と言えるレベルを超えたもので、日本語はアルタイ系言語と南島語の混合言語であると主張した。この見解は、南島言語学の崎山理や板橋義三に継承されている。
現在、主流の見解は、南島語を基層とし、アルタイ系言語が上層として重なって日本語が形成されたとするものだが、安本美典や川本崇雄は、逆にアルタイ系言語が基層で南島語が上層言語であったと主張する。アルタイ単独起源説を主張するS. スタロスティンですら、南島語の基礎語彙への浸透を認めていることから分かるように、古代日本語の形成に南島語が重要な役割を演じたことについては、多くの論者が同意している。しかし、それを単なる借用とみなすのか、系統関係の証拠と見るかについてはまだ合意に至っていない。
この説の最大の理論的争点は、混合言語の存在についてであろう。伝統的な比較言語学は混合言語の存在を認めないが、最近の歴史・比較言語学者、社会言語学者の一部には異なる見解も見られる。これは言語学の基礎理論にも関わる問題である。
簡単に俯瞰すると、日本語アルタイ起源説が19世紀以来定説になっていたが、最近ではオーストロネシア諸語とアルタイ諸語との混合言語説が基礎語彙の一致において支持されている模様。
また、比較言語学者、歴史言語学者、社会言語学者、国語学者、人類学者、生物・遺伝子学者など、いろんな学者が研究していますが、それぞれが自分の専門領域からの異なる主張をしています。研究のアプローチがそもそも違うのでしょうが、専門性が邪魔をしているように思えてなりません。この点は次回に詳しく見ていくとして、日本語は世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が交わされているのは確かなようです。
再び、『南方か北方かを言葉からみる [2]』より

縄文の時代から,現代の日本人のこころの深層にまで脈々と,受け継がれているものは何なのか?そんなものは,私権時代そして近代観念の時代に塗りつぶされ,もう呼び起こすよすがもないほど,はるかかなたに消え去ったのか?
・・・あれだけ長期にわたって継続した文化が,完全に消滅するはずは,無いのではないか?・・・日本人は,(明治政府がこの名をつけるまでは,こんなもの,どこにも存在しなかったと言うほど,異民族を意識することなく,ある意味では,のほほんと),この日本列島に,存続してきました。ということは,日本語の中には,縄文のこころが残っているのかもしれません。
南方から,北方から(あるいは未明のルートから)渡来したモンゴロイドが,日本列島の広葉樹・照葉樹の森に適応し,文化的にも,血の上でも,融和し,交わったのが縄文人なのでしょう。 であるとすれば,その出自を示すDNAに関わらず,日本列島の森が生み出し,育んだ固有種が,縄文人ともいえるでしょう。

日本人がどのように形成されてきたのか、当ブログではこれまで遺伝子分析や石器分布などを手がかりにして、民族移動の歴史から追いかけてきました。
日本語においても同様に考えてみることとします。
これまで見てきた人類移動の歴史を、Y遺伝子の研究成果と重ねあわせると概ね以下のような流れとなります。
Y染色体遺伝子の構成 
C3a 旧石器系  3% 18,000年前~北海道より
 C1a 旧石器系  5% 14,000年前~南方より海路にて
 N  旧石器系  4% 北海道または朝鮮半島経由?
 D2 縄文系  35% 13,000年前~11,500万年前 朝鮮半島・北海道より
 O2b 弥生系  32%  4,000年前~朝鮮半島・海路より
 O3 弥生系  19%  1,700年前~朝鮮半島より
 
①縄文以前の旧石器時代から北方、南方の両面から渡来しているが、日本における構成率は低い。
②日本における構成はD2とO2bが支配的であり、D系はチベットと日本にしか見られない特異な遺伝子。共にスンダランド発の南方系であり、縄文の主構成員となっている。
③O2bはいわゆる倭人と呼ばれる民族で、スンダランドを北上し中国南部に分布していたもので、大陸を追われて縄文後期まで断続的に渡来しており、彼らが農耕文化を最初に伝えたと云われている。
④その後の03は古墳~大和朝廷に至り朝鮮半島経由で渡来した北方系の支配者部族である。
日本語の形成も古くは旧石器時代を経て、縄文時代を基層として、上記の各段階で形成され統合されてきたと考えるのが自然であり、どこか特定地域の言語を起源とするのは無理があると思われる。
①の旧石器時代の人口は1万人程度と言われており、部族集団間の交流はまだあまり見られなかったと考えられ、渡来してきた部族が日本各地に点在していた段階。但し、渡来経由による東西間の石器分布に特徴が見られることから、東日本と西日本の言葉の差(方言)の源流は旧石器時代まで遡るのかもしれない。(参考:日本語の成り立ち9~縄文語の形成 [4]
②③の縄文時代に至り人口は急激に増大し、30万人とも言われている。
この時代になると縄文ネットワークとも呼ばれる集団間の交流が盛んに行なわれており(参考:縄文ネットワーク [5])、その必要からも縄文時代に日本語の基層が形成されたように思われ、その主役を担ったのがいずれも南方系のD2とO2Bである点に注目したい。特に、初期稲作を伝えた中国南方地域とは農耕にかかわる言葉のうち、耕作地や作物、食品など多くの用語との類似性が認められている。(参考:タミル語とミッシングリンク [6]
④の古墳時代以降は朝鮮半島より支配者層が続々と渡来しているが、縄文文化を取り込みながら統合してきたのは周知の事実であり、言語も同様に縄文語をベースにしたうえで変化したのちに、原日本語がほぼこの時期に形成されたものと思われる。
以上、民族移動と文化の流入の視点でざっくりと見てきました。
分からないのは、
いろんな学者はどんなアプローチで言語起源を研究しているのか?、
基礎語彙が南方系で文法が北方系と言われるのは、どういうことか?
疑問は次回へと続きます。

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