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シリーズ「モンゴロイドの歴史」12~日本語はどの様に成立したか?

前回 [1]は、「縄文人は南方モンゴロイドの気質を温存している」を追求しました。
今回は、モンゴロイドの移動を見ながら「日本語の成立」過程を追求致します。そこから「日本人の起源」即ち日本人の原点が、北方起源なのか?南方起源なのか?探って行きたいと思います。
再度今迄の議論の復習に成りますが、現日本人がどの系統から日本人に成り得たのか?見ておきたいと思います。
【モンゴロイドが日本に到達した道程】
(中国・朝鮮・日本のモンゴロイド移動の全体関連図を見るにはここ [1]をクリックして下さい。)
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北方モンゴロイド(C)は、3.3~2.7万年前に樺太経由で日本に辿り着いています。彼らは、原縄文人と言われる人達ではないでしょうか?その後、2.1~1.8万年前にバイカル湖から中亜モンゴロイド(C3)が日本に上陸し、その数千年後にスンダランドから直接スンダ・モンゴロイド(C1)が日本に辿り着きます。1.3~1.1万年前モンゴル高原からスンダ・モンゴロイド(D2)が辿り着き夫々の人種か混血し縄文人(D2:C1:C3=5:1:1)を形成しました。
それから歴史は進み、2200年前には秦王朝から新モンゴロイドの流れを汲む倭人(O2)が南朝経由で日本に渡来し、縄文人と混血して弥生人と成りました。そのモンゴロイドの遥か長い移動の過程で言語が影響を受け、現在の日本語に到達したと思われます。
それでは、ここから日本語の成立過程を見ながら、日本人の源流を探していきます。
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【 日本語はどのようにして成立したか?】

日本人の起源、という点で、残されたテーマのひとつが、「日本語の成立」という問題である。この問題も日本人が北方起源か、南方起源か、という問題に大きく関わっている。よく語彙は南方系、文法は北方系とされる。つまり、基礎的語彙は、ポリネシア語等、南方言語との親近性が高いが、文法は動詞が後に来る、膠着語の文法になっている(助詞、助動詞の存在)などの形態から日本語は北方のアルタイ語族に分類される。ここで、文法は変わりにくく基層的であると考えれば、縄文人北方起源説も成立することになる。しかし、基本語彙こそ基層的で、文法は支配部族によって持ち込まれたものであり、人為的・強制的に変化しうる考えれば(実際、ヨーロッパでは先住民も印・欧語の文法に変更させられている)日本語の北方的影響は後発的であるとすることもできる。

     「’10年末なんで屋劇場:モンゴロイドの歴史を巡る残課題」 [3]
【日本語は、南方系言語を母体して後発の北方系の言語が混合した複合言語】

『佐々木高明氏も『日本文化の多重構造』の中で、
1.1万2~3千年前頃の縄文語は、東北アジアのナラ林帯に現在も広く残っている古アジ            
ア語の祖型に近い「原東北アジア語」(原始的なアルタイ語的特徴をもっていたと考
えられる)とでもいうべきもの、とした上で、
2.縄文前期~中期ごろに照葉樹林文化が西日本に進出してきて、南方的な言語   (オストロネシア系の言語やチベット・ビルマ系の言語)が伝来し言語混合する。
3.縄文末期に寒冷適応した新モンゴロイドが渡来し、現在のツングース・満州語に近 いアルタイ系の言語が伝来した。同時に、長江下流域や江南地方からは呉・越系(オ ストロネシア系だが正確な系統は不明)の言語も伝来し、混合語としての日本語の根 幹が形成された。
4.最後に4~5世紀の古墳時代に朝鮮半島からアルタイ系の言語や中国語(漢語)が導 入され上代日本語が形成された。
 と述べられており、同様な見解のようです。
ただ、佐々木氏は縄文語の基層を、古アジア語の祖型に近い「原東北アジア語」とでもいうべき言語を措定されている点が、微妙に異なるようです。しかし、これをいわゆる北方系の言語と混同すると間違い、むしろ南方系の言語に近かったのではないかと想定されます。というのも、日本を含むアジアの言語が、地域的変化のみならず、時間的・歴史的に南方系から北方系へ変化してきたと言えるからです。
言語類型の地域的・時代的変動を研究された橋本萬太郎博士によると、例えば商(殷)代の墓地などから出土する甲骨文には、「中谷(谷の中)」「丘商(商の丘)」というように、修飾語が被修飾語の後ろにつく順行構造をもつ表現が多く、これは東南アジア方面に広く見られるもので、当時は南方系の言語の特色をもっていたという。ところが周代以降、特に春秋時代(紀元前八世紀ごろ)以降になると、「大道」「甲祖」など修飾語が前につく逆行構造へと大きく変化した。これは、紀元前十世紀ごろ西北方から周部族を中心とする遊牧民が、黄河流域に侵入・定着し、周辺の諸部族を同化していった結果であり、南方系の言語が北方系の言語に置き換えられるという大きな言語変化が起こったことを示している。
そして、日本には玉突き的にツングース語が入ってきた。
>このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。(国立民族学博物館 崎山理教授の研究より)』(

    「南方系から北方系へ言語は変化」 [4] 
モンゴロイドの移動から考えると、3.3~2.7万年前の北方モンゴロイド(C)の日本への渡来、そして2万年前の中亜モンゴロイド(C3)、1.3~1.1万年前のスンダ・モンゴロイド(D2)の渡来も、元々彼らは何処から来たのかというとバイカル湖周辺やモンゴル高原を経由して来た南方を源流とした民族であると考えられます。従って、古代日本語もより根源的な語彙は南方系の言語を多く残存させていて、文法も南方系のものだったと考えられます。しかし、2200年前に中国から新モンゴロイド(O系)の倭人が渡来してから、南方系言語が北方系言語に影響されそして混合した複合言語化した日本語に変化したのです。
従って、「よく語彙は南方系、文法は北方系とされる。」点の説明は付きます。

日本語は南方系の言語が元に成っていると云って良いだろうと思います。そして、”文法“は、その時の支配部族によって人為的・強制的に変化するとすれば、日本語も日本に渡来した倭人よって持ち込まれたアルタイ語(北方系)との複合言語に成ったのです。従って、日本人の源流は南方系モンゴロイドの可能性が高いと云えます。
ただ、佐々木氏の「原東北アジア語」(原始的なアルタイ語的特徴)については、微妙に疑問が残るので後半で追求致します。
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【先住の縄文人も文法はアルタイ語族と同じではなかったか?の疑問に答える】

膠着語の特徴を持つ言語がかなり古い(シュメール人やドラヴィダ人にもみられる)ことから、先住の縄文人も文法はアルタイ語族と同じだったのではないか?それ故に、後発のツングース族の言語ともうまく融合したのではないかという仮説が提起された。この点も継続追求課題である。

       「’10年末なんで屋劇場:モンゴロイドの歴史を巡る残課題」 [3]

《一口メモ⇒膠着語(こうちゃくご)とは》
言語の形態的類型による分類の一。実質的な意味をもつ単語あるいは語幹に、文法的な機能をもつ要素が次々と結合することによって、文中における文法的な役割や関係の差異を示す言語。朝鮮語・トルコ語・日本語・フィンランド語など。
例えば、「飛ぶ」という動詞だとtob という語幹に、
tob anai:「飛ばない」
tob imasu:「飛びます」
tob eba:「飛べば」
tob ou:「飛ぼう」
のように語尾をくっつけて変化させる。 このように日本語における膠着語とは、語幹に語尾をいろいろ変化させてくっつけていく言葉をいう。

    「大辞林から引用させて頂きました。」
先住の縄文人は、アルタイ語族の文法を使用していたのではないか?との疑問も有るので検討しておきたいと思います。
また前述の佐々木氏も縄文語の基礎を「原東北アジア語」(アルタイ語的特徴)を想定されている所も有ります。この点をもう少し深く追求しておきます。

日本語は、文法は北方由来、語彙は南方由来という。文法はかなり厳密にアルタイ的であり、語彙はインドネシア語など南方の言語に共通性が多く見られるという。
しかし、ここで問題があり、北方とは文法の共通性にかかわらず単語はさっぱり似ていない。南方は基礎語彙に共通性が見られるにかかわらず、文法は全く異なっている。(東南アジアの文法はSVO、英語型がほとんど。)ネジレ関係である。
日本語がもと南方の英語型の文法で、のちアルタイ語の文法に変わったとして、なぜ全く単語が入ってこないのか。曲芸かマジックとしか思えない。(逆を想定しても同じ。)何か前提に間違いがあるに違いない。
先の「なんでや劇場」のY遺伝子追求では、日本人は古くからの遺伝子を蓄えていることが明らかにされた。また、人類古来の共同体を保持しているのはやはり日本人である。言語についても、アジアの古い形を保持していると考えるべきだろう。変化したのは、大陸の言語のほうと考えるのが自然ではないか。
スンダランド諸語は、文法は日本語と同じ膠着語、語彙も現日本語に共通のものがあったと推測します。おおげさに言えば原日本語がスンダランドにあった。そして、
 ①日本列島に到達したものは、その後温暖化→海面上昇で、大陸との距離が広がったこともあり、古い言葉を維持。→現日本語へ。(ヨーロッパでも孤島アイスランドに古いゲルマン語が残っているという。)
 ②スンダランドから北方へ向かったもの(O3)は乾燥・寒冷適応で肉体改造したくらいだから、気候にあわせて発音体系(喉と唇の運動様式)も改造したと思われる。→単語が跡形もなく変わってしまった。文法はそのまま。アルタイ語族。
 ③東南アジアに残ったものは、スンダランド海没過程で、民族移動、民族接触を繰り返し、すでに言語の地域差が大きいため、意思疎通の必要から文法が簡単になった(英語型の語順へ)。(参照:「民族移動、民族接触による文法の単純化、語順の変化」 [5])単語は日本語と共通のものを残す。
と言うことではないかと考えられる。
このよう(③のように)に考えると、東南アジアを囲む形で同心円状に、膠着語(日本語型の文法)がぐるりと配置していることが納得できる。(ドラヴィダ語、ビルマ語、チベット語、チュルク語、モンゴル語、朝鮮語、日本語)
さらに、①のように日本語がスンダランドの言語を色濃く残していると考えたほうが、母音語族 [6]と呼ばれることにも整合しそう。
日本語は文法も語彙も南方由来の言語ということになる。

      「文法は北方由来、語彙は南方由来の謎」 [7]
この仮説は、非常に興味深く可能性のある論点だと思います。日本語の原点は、スンダランド諸語で有って「文法」も「語彙」も南方由来の言語であると述べています。そして、アジアの古い言語(アルタイ語的特徴=前述の佐々木氏の論点に近い。)を残しているのは、日本だけで大陸の言語が変化したと、今まで追求して来た「日本語の成立」と真逆の論点でも有ります。しかし、先にも述べた通り「文法」は、その時の支配部族の外圧により容易に変化するものです。従って次の様な視点がいる様に思います。

単準に、文法が極めて厳格に設定されている言語(主要に古典的なインド・ヨーロッパ語に多い)では、S・V・Oの並びを厳格に適用せねば意味が通じませんが、日本語も含めて文法が厳格でない言語では、S・V・Oをいかに倒置しても意味は通じます。(ex.私はごはんを食べる→ごはんを私は食べる→ごはんを食べる私は・・・。この傾向は、より始原的な言語と考えられるオーストロアジア語族などで共通)
このように、文法はその言語を使用する集団の外圧状況や、他言語との交わり等によって比較的容易に変化すると考えられます。
英語やアラビア語の変化は、たかだか数百年程度の間の変化ですから、数千年単位で考えれば、もっと変化していたとしても不思議はありません。
それよりも起源を考える上で重要なのは、やはり語彙、特に基礎語彙でしょう。日常生活で頻繁に使用される基礎語彙の共通性は、集団の同祖性や親近性を意味すると考えて間違いないと考えられます。
日本語が変化したにしろ、大陸側が変化したにしろ、いずれにしても日本語(日本人)の起源は基礎語彙の共通性が多数見られる南方系と考えるのが自然であると言えると思います。

     「文法は容易に変化する→文法的共通性は起源論の根拠になり得ない」 [8]
結局、佐々木氏の論点に有る様に、日本語(縄文語)には”アルタイ語的特徴”を保持しており、大陸から渡来した倭人(O2)により更にアルタイ語文法が整理され日本語に組み込まれ浸透したと考えて良いのではないかと思います。しかし、日々使用される基礎語彙は共通性が高く安易に変化しない訳で、南方系の語彙がそのまま残存したと考えるべきだと思います。
ここまでの検討では、日本語は南方系からの由来で、日本人は南方系モンゴロイドがその源流で有る可能性が高い事は変わらないと云えます。
しかしまだ多くの残課題が残されていますが、この解明もみんなの認識力を結集して歴史的事実を丹念に追求して積み上げていけば答えに繋がっていくと思います。
次回は遂に最終回となり、「モンゴロイドの歴史」の総まとめに挑戦します。
ご期待ください。

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