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『日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ』シリーズ ~夜這い婚を支える【学び】と【導き】~

『日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ』シリーズ 第二回は、「夜這い婚を支える学びと導き」です。
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この女性達の画像はこちら [2]からお借りしました。
前回の記事では、「夜這い婚って何?」を扱いました。
その答えとして、「現代とは違い、性について語ることはタブーではなく、開かれた性がみんなの共認充足であり、村落共同体内の活力の上昇に繋がっていた」ことを示しました。
夜這い婚のあった当時、活力の根底にある性充足をどの様に学び、深めていったのでしょうか?
現代との違いを明らかにするために、女性の方に質問です。

 Q 貴女は、どうやって性の充足を学びましたか?

現代であれば、友達から体験談を聞く、アダルトビデオやネットで知る、彼氏に教えてもらう。という答えがほとんどを占めると思います。初めての性体験が苦いものであれば、性に対する充足が感じられず、嫌になる場合もあります。
1970年以前であれば、「性は学ぶものではなく、捧げるものです。」という処女規範のもと、初体験の人と生涯を共にするという風潮でした。性を語ることがタブーであり、密室の中での限定的なやりとりだったのです。
では、性充足が村の活力であった夜這い婚の時代において、女達は性の充足をどのように学び、深めていったのでしょうか。当時の様子を見てみましょう。
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戦前まであった夜這い婚では、娘宿という習俗がありました。
村の地主豪農層で、年頃の子供が居ない家の部屋を借りたり、尼寺・庵寺を利用して、結婚前の娘たちが集まります。表向きは、茶道・生花や裁縫の手ほどきを習うというものですが、実態は娘たちが自由に運営し、オシャベリが中心となります。
戦前の娘宿のオシャベリは、どのようなものだったのか?
赤松啓介著『村落共同体と性的規範』の中に、赤裸々な娘宿のオシャベリが掲載されています。 

いわゆる娘宿でも、若衆宿と同じく、はっきりいえば男、特に若衆の噂ばなしが主流で、姉さんたちの夜這いの相手のはなしが圧巻になった。
「あの三郎、そなえ好きなんかえ?」
「そこの静枝に聞いてみい。三郎の筆下ししたったや。」
「姉さん、ほんま?どないやったん?」
「初めは誰でもいっしょや。あの子も忠雄が男にしたってえ、と連れてきたんや。ちょっとかわいいやろ。それでほんまは忠雄にいうて連れて来させたんや。ネヤの外に座って、なんぼしても入らへんねんや。それで手をひっぱって、むりやり引き入れたら振えとったわ。」
「わあっ、かわいそう。」
「なにがいな。男は、みんなそんもんや。」
「それからどないしたん?」
「キッスしたり、お乳すわしたり、ということや。」

娘宿ではいろいろと情報が交換される。あの男はおとなしそうやが、女と寝たら手荒い。あれは身体は大きいのに、ものは細い。ときどきよう立てんと、帰りよる。等など。
「あの子はおとなしそうやが、女殺しや。」
「女殺しって、どないするのん?」
「そんなこと、お前、してもろたらわかるやんか。」
「うちみたいなブス、してくれへんやないの。」
「アホやな。顔と道具は違うねんぜえ。お前の道具、評判ええんよ。」
「あっ、恥かし。」
「なにが恥かしいねん。いっぺん、抱きついてみい。」
というわけで、娘宿も君に忠、親に孝などというアホはいない。
 

上記の内容からもわかるように、性の主役は女。女同士で「どうすればより充足するか」をあけっぴろげにしており、男への期待のかけ方を実に楽しそうに話しています。若い娘が充足経験の豊富な姉様たちから、日常的に性の充足を学ぶ場があったのです。そして、充足を学ぶ場の背後には、それを導く基盤がありました。

 ■集団の課題だった「性の導き」

夜這い婚の時代は、男も女も性の充足を学ぶことも含めて一人前とされていました。それを実現するための性の指導体制も集団課題として整っていたのです。

若者宿ではまず、新入りには忍び込みのテクニックを教える。そして筆下ろしのため、先輩が事前に了解を得て、ベテランの女性に、童貞の子への筆下ろしを頼んだものである。上農の場合には、元服の際、両親が相談し、親類縁者のなかから、これという女性を選びだして依頼し、文字通り手取り足取り、女性の体の 造り を教え、扱い方 の指導を任せたものである。
娘の場合も、赤飯を炊いて祝った夜、一族の年配者や、主家筋の、しかるべき長老の誰かに、水揚げというか、道を通してもらうのが慣わしであった。そうしておかないと、夜這いされたとき、戸惑うことになる。そして、母親や叔母さん、先に一人前になっていた近所の姉様たちが、具体的に心構えや、手練手管を伝授するなど、共同体の一員としての教育がなされてきたのである。 

※筆下し、水揚げについてはこちら [4]
このように、性の手ほどきは、実地も含めて心構えを伝える導きだったのです。
そして、筆下しや水揚げという慣しは、導く先達にとっても、集団の中の若者が一人前になる喜びでした。

 ■まとめ

現代では、家庭でも、教育機関でも、社会の規範でも、性の「知識」だけを与え、性の「充足」を学ぶ機会はありません。従って、どうしたら性の充足を得られるかは、個人の経験レベルでしか解かりません。それに対し、夜這い婚の時代では、誰もが性の充足を得ることが、集団の充足規範でした。性の礼儀作法を身につけた後は、ひたすら性の充足を求め、集団の中で学び合っていたため、性はみんなに開放され、より充足する方向へと意識を深めていけたのです。
夜這い婚を支えていたものは、充足規範に基いた「性の充足を学ぶ場とそれを導く集団の基盤」だったのです。。。

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